【阿仏房御書】
生命は「宝塔」
あなた自身が尊極の宝
御書
末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外に宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり
通解
末法に入って法華経(御本尊)を保つ男女の姿より他には宝塔は無い。もし、そうであるならば、貴いとか賤しいとか、上とか下とかの差別なく、南無妙法蓮華経と唱える者は、そのまま我が身が宝塔で有り、我が身がまた多宝如来で有る。
文永9年(1272年)、阿仏房に与えられた御文です。
念仏の信者だった阿仏房は、日蓮大聖人が佐渡に流罪されていた時に、嫁の千日尼と共に帰依されました。
阿仏房は、法華経見宝塔品第11で説かれる「宝塔の涌現」について、大聖人に御質問されました。
「宝塔」とは、法華経の「虚空会」の儀式に登場する壮大な塔で有り、私達の生命に具わる「仏界の偉大さ」を表現したものと排する事が出来る。
お題目を唱える人は「貴賤上下をえらばず」、すなわち性別、社会的立場、民族など一切の「違い」「差別」を超えて仏界を涌現する事が出来る。
生命という根本の次元に光を当てて「すべての人間の尊厳」を説く日蓮仏法こそ、「真の平等思想」で有る。
この御文に続けて大聖人は、「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此より外の才覚無益なり」と仰せです。
お題目を唱えた時、他ならぬ、あなた自身が尊極なる宝塔と輝くのですよと教えられています。
そしてこの事以外の知識や理屈は「無益」ですとまで仰せなのです。
我が生命が宝塔として輝けば、生きる世界も宝土となって行く。
一人の一念の変革から、国土をも変革する事が出来るので有ると仰せです。
また大聖人は、この宝塔は「聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝」によって飾られていると仰せです。
これは仏道修行の七つの条件とも言える。
この筆頭には「聞」が挙げられている。
仏法の法理を求めて聞く。
友の悩みに耳を傾ける。
仏道修行の第一歩は、「聞く」事から始まると仰せです。
生命は「宝塔」
あなた自身が尊極の宝


