【広宣流布】
万人の幸福と世界の平和実現
広宣流布については、さまざまな角度から説明できます。
先ず、一番基本の言葉の意味を言うと、「広く宣べ、流布する」こと、すなわち人々に妙法を弘めることです。
そして、その妙法を基調にして、社会に仏法の人間主義を広げることで、地域、国家、そして世界で、人々の幸福と平和を確立して行くことを私たちは目指すべきです。
仏法を語り、伝えて行くのは、家族、友人、知人の幸福を願うからです。
信心は自分一人だけがすれば良いというものでは有りません。
そして、また、家族、友人、知人がお題目を唱え、その人の生活と人生に喜びの「結果」が厳然と現れます。
そうやって、一人ひとりに幸福の「種」を植えて行く事が広宣流布の第一歩です。
「種を植える」とは、具体的に「対話」によって、万人の幸福と平和を実現して行く事が、私達の広宣流布です。
広宣流布こそ、仏法の根本実践です。
釈尊も、仏の悟りである正法を、対話によって人々に流布するため、インド各地を歩きに歩きました。
そして、絶対的幸福である仏の境涯に、万人を導く法華経を説き、生涯を送られました。
日蓮大聖人も、人々の生命に巣くう魔性を「対話」の力で打ち破りながら、全人類を幸福にしようとの「誓願」を抱き、妙法弘通の闘争を一生、貫かれました。
大聖人は「大願とは法華弘通なり」と仰せです。
妙法が広まること、つまり「広宣流布」以外に、仏の願いはありません。
そして大聖人の仏法を現代に生き生きと蘇らせたのが、教学です。
妙法を弘めることは、また、社会をも変えていくことです。
これまで学んで来たように、妙法には、仏界を涌現する事で生命の根本的な迷いを断ち切り、自身を変革する力が有ります。(=仏界の涌現とは、お題目を唱え、生命に眠る仏界を目覚めさせる事。)
まず、そうした一人ひとりが人生や社会で妙法の偉大さを証明していく。
そのことで、人間の持つ可能性、偉大さに万人が目覚め、各人が自身の生命の可能性を花開かせようと挑戦して行く。
そして、私たちが進める広宣流布は、そこにとどまりません。
仏法の生命尊厳の哲理と慈悲の精神を、文化、芸術、教育、経済、政治など、あらゆる分野で現実化して行く作業でも有ります。
社会のあらゆる次元で、価値を創造し、人類の境涯を豊かにして行く事。
それが広宣流布の目的なのです
日蓮仏法は「広宣流布の仏法」で有り。
広宣流布こそ、日蓮仏法の真髄なのです。
自分が幸福になるのはもちろん、人をも幸福にしていこう。
その祈りと行動を続ける生命の中に「広宣流布の信心」が脈動するのです。
【広宣流布】
万人の幸福と世界の平和実現


