【地涌の誉れ】
広布に生き抜く実践が成仏への直道
ここまで、広宣流布の目的、末法広宣流布、世界広宣流布を学び、さらには、地涌の菩薩の使命を深く知ることができましたね。
友の幸福、そして全人類の繁栄へ行動する広宣流布の実践に生きることが、いかに尊いことかが、だんだん分かってきましたね。
広宣流布のための活動に取り組むことで、何か、自分の心も大きく広がっていくような気がしますね。
御書には、日蓮大聖人御一人から始まった広宣流布の流れが、必ず大きく広がり、万人の成仏の道として成就されていく、との御確信が示されています。
御書
「多くの流れが集まって大海となり、塵が積もって大山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本国で、大海のはじめの一滴、大山のはじめの一つの塵のようなのである。法華経の題目を、二人、三人、十人、そして百千万億人と唱え伝えていくようになれば、それがそのまま、仏の悟りという大山、大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに求めてはならないのである」
私たちが仏の願いである広宣流布に生き抜くなかに、「仏になる道」すなわち自身の成仏もあるのです。
そうです。成仏とは、自身の内面に、どんな環境にも左右されない「仏の境涯」を開くことでした。
しかし、仏の境涯を開くといっても、広宣流布に戦い続けていく、その心と行動そのものの中に開かれていくのです。
日蓮大聖人の仏法の目的である広宣流布への実践によって、一人ひとりが自身の生命境涯を変革していくことを「人間革命」ともいいます。
そして、人間革命と広宣流布は密接にかかわっているのです。
池田先生は語っていました。「『広宣流布していこう!』という心が、人間革命していく心になる。人間革命が「自転」ならば、広宣流布は「公転」にあたる。自転と公転があって、宇宙の運動は成り立つ。公転がなければ宇宙の法則に反します」と。
地球は「公転だけ」でも「自転だけ」でもないのです。
そして、さらに言えば、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換を成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」のです。
壮大なスケールです。人として信心できることは、深い深い意味があるように感じられます。
まさに「日蓮と同意」の信心で広宣流布を拡大してきた唯一の仏意仏勅の人々が世界に、たくさんいます。
自身が地涌の菩薩であると悟達され、ただ一人、広宣流布に立ち上がられた日蓮大聖人。
「広宣流布の信心」とは、私たち一人ひとりが地涌の菩薩であるとの自覚で、自他ともの幸福を実現しようとする実践のなかにあります。
「御書根本」に、広布を阻むあらゆる魔と戦い、打ち破っていく。
そして、大聖人のもとで戦い続けていく事で、必ず大聖人が賞賛されることは間違いないのです。
「広宣流布」をしているのは、この地球では人間しかいない。
唯一の仏意仏勅が人間なのです。
人間がいかに、尊いか。
広宣流布に進む人間の軌道は、ある意味で「法」です。
この法に則って進むことによって、自分の成仏、人間革命がある。
「公転」と「自転」の関係です。
自分中心は、自転だけあって、公転がないようなものです。
いいように見えて、宇宙の軌道から外れ、寂しき生命の孤児になってしまう。
自分中心でなく、法が中心でなければならない。
依法不依人(=法に依って人に依らざれ)です。
【地涌の誉れ】
広布に生き抜く実践が成仏への直道


