【自行と化他】
我が生命に仏の智慧と力を顕す
仏法では「万人が仏である」と説いています。
その真理を、どうやって現実のものとするかが大事です。
そこに仏道修行、つまり信・行・学のうちの「行」の意義があります。
どんな分野でも、実際に繰り返して練習する事が大切です。
ピアニストだって、ピアノをより上手に弾く為に、日々、練習を重ねています。
ある程度、上達して、それを維持して行くだけでも、やはり毎日の練習が欠かせないはずです
確かに「道理」です。
信心も同じなんです。
日々の仏道修行に励んでいってこそ、自身を向上させ、境涯を開いていく事が出来るのです。
「行」とは「実践」の事ですが、これには「自行」と「化他行」の両面があります。
まず、自行とは、自分自身が妙法の利益を得る為の修行で、具体的にはお題目を唱える事です
「お題目」は、私達自身の生命に、日蓮大聖人と同じ智慧と力を顕す為の作業です。
大聖人の仏の生命が顕された御本尊を、信心根本に拝していく事で、御本仏・日蓮大聖人と同じ仏の生命を我が身に開いていけるのです。
私達の生命の中にも、御本尊は描かれています。
それを、大聖人が曼荼羅に描いたのです。
日蓮大聖人は、「法華初心成仏抄」で、御本尊に向かって題目を唱える事によって、私達の胸中の仏性(=仏のもともとの性質)が呼ばれて顕れる事を示されています。
同抄には、「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」とあります。
繰り返し唱える、実践が大切だという事です。
題目とは、一日一日、勝利し、向上し、そして人生に勝利して行く為の原動力です。
鏡も磨かなければ曇ってしまいます。
同じ様に、日々、生命を磨いて行く為に、毎日、題目を持続して行くのです。
大聖人は、「深く信心を発(おこ)して日夜朝暮に又懈(またおこた)らず磨くべし何様(いかよう)にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是(これ)をみがくとは云うなり」と仰せです。
通解
深く信心を奮(ふる)い起こして日夜、朝夕に、また怠る事無く自身の命を磨くべきである。
では、どの様にして磨いたら良いのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱える事、これが磨くという事なのである。
更に、大聖人は「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧めんのみこそ今生人界の思出なるべき」と仰せです。
今生人界の思出とは、人間として生まれてきた今世の思い出のこと。
自分が御本尊を信じて題目を唱えるとともに、人にも仏法を語っていく事が正しい仏道修行になるのです。
仏法は「自他ともの幸福」を実現する為の教えです。
その為に自行だけで無く、化他行が不可欠です。
化他行とは「化他」とも言いますが、友人に妙法の利益を得させる為に、大聖人の仏法の素晴らしさを語る弘教の行為です。
また、広宣流布の為の諸活動、すなわちブログの拝読も、この化他行に入ります。
大聖人は、門下一人ひとりに弘教を強く勧められています。
御書
「かかる者の弟子檀那(でしだんな)とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」
通解
このような日蓮の弟子檀那となる人々は、宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘めるべきである。
御書
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」
通解
総じて日蓮の弟子といって妙法を唱え法華経を修行する人々は、日蓮のように妙法弘通に励み、不惜身命の信仰を貫いていきなさい。
御書
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」
通解
末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は、男女は問わない。皆、地涌の菩薩の出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。
御書
「我もいたし人も教化候へ力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」
通解
我も行い、人にも教化していきなさい。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。
正に、弘教こそ日蓮仏法の重要な実践に他なりません。
自行と化他行の両面がそろって「行」なのです。
自行と化他の両面があって、妙法のリズムと合致して行きます。
いわば、天体の自転と公転の様なものです。
「自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」です。
自分が題目を唱えるとともに、人々の幸福を祈り、対話を重ねる、そうした行動が、自身の生命を変革し、胸中に揺るぎ無い仏の境涯を築いていくのです。
白馬が天空を駆けゆく様なリズム感あふれるお題目をして行く事で。
充実感と、大歓喜、一切を掌に収めた様な大智慧を実感する事が出来る。
生命を根底から蘇生させる、清々しい「元初の儀式」それがお題目です。
【自行と化他】
我が生命に仏の智慧と力を顕す


