【教学と法華経】20. 仏とは、どういう人を言うのでしょう❣️困っている人を放ってはおけない人。

教学と法華経

【事の一念三千】
無限の可能性を開き顕すための御本尊

前回、私たちの生命に宇宙大の可能性が具わっていることを学びました。

人間の持つ無限大の可能性を引き出し、一人ひとりに根本的な希望と勇気を与えるのが、日蓮大聖人の仏法です。

ここで考えてみてください。

仏とは、どういう人を言うのでしょう。

人生の不幸に苦しんでいる人を決して放っておかない、また放っておけない、そういう境涯を開き顕している人のことではないでしょうか。

宇宙大とも言える広大な境涯を開いているから、仏にとっては、世界中のありとあらゆる人の人生の悩み、苦しみ、迷いも、‘‘他人事,,ではありません。

いわば、すべてが‘‘わが事,,です。

瞬間、瞬間の生命に、いわば全宇宙が収まっている。

こうした一念三千の法理を、仏は、わが身に体現している、というわけです。

大聖人の仏法において、まず大切なことは、こうした宇宙大の境涯が、どんな人の胸中にも具わっていると明かしていることです。

日蓮大聖人は「所詮(しょせん)・万法(ばんぽう)は己心に収まりて一塵(いちじん)もかけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」と仰せです。

山も海も、太陽も、月も、たくさんの星も、皆、私たちの胸中(己心)にある、との意味です。

こうした宇宙大の境涯を開き、そして民衆一人ひとりの境涯変革へ、また民衆の幸福を実現するための社会変革へ、生涯、行動し続けられたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。

ここで、大聖人が私たちと変わらない凡夫の身に、仏の境涯を開かれたことには、重大な意義があります。

それは、末法に生きる私たちも、必ず仏の境涯、つまり宇宙大の境涯を、この一生の間に開くことができる。

そのことを、大聖人が御自身のお姿を通して証明されたということになるからです。

このことは実に画期的なことです。

というのも、万人の成仏を説き明かした唯一の経典が法華経ですが、そこに挙げられている釈尊の仏としての姿は、まだまだ、末法の私たちには遠いものだからです。

確かに、法華経には万人の成仏の原理が説かれています。

また、如来寿量品第十六で、久遠実成が明かされ、釈尊の姿を通して真の成仏の姿が明らかになりました。

地獄界から菩薩界までの九界の生命を具えたまま、現実の九界の世界で永遠に民衆救済に生き続ける真実の仏の姿が説かれています。

しかし、成仏の結果である久遠実成の釈尊を見て、直ちに、末法の万人が自身に内在する無限の可能性を見いだせるかどうかというと難しいのです。

その理由は、釈尊の成仏の根本原因となった法を、末法の凡夫がどのように修行すればよいのかについて、法華経の文面には、はっきりと明らかにされていないからです。

日蓮大聖人は、久遠実成の釈尊を仏たらしめた根源の法そのものを南無妙法蓮華経として明かされました。

そして、その法を信受することで、凡夫が直ちに仏の境涯を自身の胸中に開き顕していく道を確立してくださったのです。

そのことを日蓮大聖人が、末法の全民衆に先駆けて御自身の姿を通して証明されたのです。

そして、そこが大事です。

大聖人は大難と戦い、障魔を打ち破っていくお振る舞いを通して、九界の凡夫の身に仏界が涌現することを証明されました。

言い換えれば、十界互具・一念三千という万人にあてはまる普遍の真理を、その身に体現されたということです。

そのように、事実の上で一念三千の妙法が顕わになっている大聖人の御生命が顕されているのが、南無妙法蓮華経の御本尊です。

だれもが仏の境涯を開いていけるように、大聖人は御本尊を顕されたのです。

この「事の一念三千の御本尊」こそが、一念三千論の結論です。

万人の幸福、すなわち広宣流布の決意に立って御本尊を拝することで、私たちは、だれもが仏界を現せます。

そして今度は、仏界を根本に「現実の九界」の世界で、苦悩と不幸に覆われた「現実」を、私たちはどこまでも変革し続け、万人の幸福境涯を実現していくために行動していくことができます。

そうした、たゆみなき現実変革への挑戦は、一念三千の実践そのものなのです。

仏の「大いなる境涯」に包まれた時に、自身も、周囲の人々も、そして国土も、すべて「幸福」と「希望」の光に輝いていく。

それが「事の一念三千」の南無妙法蓮華経の力です。すなわち、ここにはダイナミックな「変革の原理」が説かれているのです。

この大法に則って、現実社会のまっただなかで戦い、日本を、全世界を、幸福の「楽土」としていく。

それが広宣流布の運動なのです。

「事の一念三千の御本尊」を拝することによって、私たち九界の衆生も、南無妙法蓮華経の光に照らされた諸法実相の生命活動となるのです。

大聖人は「十界の衆生
  悉く諸法実相の仏」と仰せです。

地獄界なら地獄界、人界なら人界、その身そのままの姿で、実相すなわち妙法蓮華経の当体と光ることができるのです。

どこか遠い所に行くのではない。

何か特別な自分になるのでもない。

苦しんでいるなら苦しんでいる、喜んでいるなら喜んでいる、その姿のまま、素直に御本尊を拝し、広宣流布へと行動していけば、必ず「諸法実相の仏」となるのです。

自分だけの自分の使命が果たせるのです。

事実の上で、一念三千の自在の力用を生活の上に、人生の上に表現できる自分になるのです。

【事の一念三千】
無限の可能性を開き顕すための御本尊

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