【三国四師】
万人の幸福へ「正法」を弘めた仏法者インドの釈尊、
中国の天台大師、
日本の伝教大師・日蓮大聖人
前回、「正・像・末の三時」を学びました。
末法の時代に至るまでに、実に多くの人が仏法を伝え弘めていったのです。
まず、釈尊滅後の正法時代は、主にインドに仏教が広まった時代です。
そして、この時代に、釈尊の教えを次々に正しく弘めた人々を、「付法蔵の二十四人」と呼んています。
「付法蔵」とは、師匠が弟子に、一切の法(法蔵)を伝え託す(付嘱)ことです。
その人々は、次々に仏法を正しく受け継いで、民衆の幸福のために、仏法を流布していったということです。
まず、釈尊の直弟子である迦葉、阿難が仏法の教えを正しく受け継ぎます。
それから、釈尊の誓願をより忠実に再現した大乗の教えが、万人の救済を願って弘められていきます。
この大乗教の理論的基盤を確立し、中国・日本へと、正しく仏法が伝わっていく‘’素地,,を整えたのが、竜樹です。
竜樹の故郷の国では、王が誤った教えを信じていました。
竜樹は、その誤りを正そうと、国王の目に留まるように、赤い幡をもって王宮の前を七年間も行き来します。
その姿を怪しまれ、国王から呼び寄せられた竜樹は、国王を正法に帰依(仏を信ずること)させ、また諸宗の誤りを破折して大乗教を流布したといいます。
仏法の正しい教えによって王を目覚めさせ、国の繁栄を実現しようとしたのです。
また、付法蔵の二十四人のなかには、人々から妬まれ、命を落とした人もいました。
例えば、竜樹の弟子・迦那提婆(提婆菩薩)は、南インドの王が誤った教えに帰依しているのを救おうとして、王の前で破折。
それがもとで提婆菩薩は、破折した諸宗の弟子から危害を加えられ、殉教します。
また、二十四人のなかの最後となる師子尊者は、仏法を弘めに弘めた末、彼を妬んだ人々の画策に陥れられて国王によって首をはねられたのです。
まさに、命懸けで仏法が伝えられてきたのです。
何よりも民衆の幸福を願ってのことです。
このほか、仏法を伝えた人として、世親(天親)がいます。
初めは小乗教を学びましたが、兄の無著の勧めで大乗教に帰伏し、多くの著書を著しました。
こうした人々の営みによって正法が伝わり、仏教がインドから各地に広がったのです。
今度は、像法時代です。この時代には、中国・日本で仏教が大きく広まりました。
相次ぐ戦乱で悲嘆と悲しみを経験してきた民衆を、仏法の真実の教えによって救い出そうとしたのが、中国の天台大師です。
天台は、入り乱れて中国にもたらされた数多くの経典を整理・判別して、法華経が経典の最高峰であることを明らかにしました。
また天台が行った法華経の法理についての講義は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』(天台三大部)としてまとめられました。
天台は、法華経に基づいて「一念三千」の法門を確立しました。
これについては後の章で学びますが、大聖人は、この一念三千の法門を、法華経に秘められた・成仏の根本法・であるとされています。
この天台の法門を中国から日本に伝えたのが伝教大師です。
中国に渡って、正法を求めたのです。
大聖人は、日本に仏教が渡ってから、正しく法華経を読んだのは伝教大師一人だけであった、と述べられています。
天台、伝教は、まさに法華経を軸にした仏法者の系譜とも言えます。
インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師こそ、妙法を悟り、そして時代に応じて法華経の正法を正しく弘めた人物です。
そして、日蓮大聖人は、この三人に御自身を加えた四人を「三国四師」と呼ばれました。
まさしく、法華経を軸に仏教史を見れば、釈尊、天台、伝教、日蓮大聖人、という仏教正統の系譜があるということです。
この系譜を受けて、大聖人によって確立された南無妙法蓮華経の仏法は、現実に、しかも本格的に、万人に幸福境涯を開かせる‘‘究極の大法,,です。
法華経を説くために、釈尊はあえて、苦しみの多い娑婆世界に生まれました。
法華経を翻訳するために、鳩摩羅什は、艱難辛苦(かんなんしんく)の末、西域から中国に入りました。
法華経の奥義を究めるため、伝教大師は、荒波を越えて中国に渡りました。
大いなる目的が「行動」を生んだのです。
やむにやまれぬ心が「行動」を生むのです。
釈尊の教えを継ぐ提婆菩薩や師子尊者は、悪王らを諌めて殉教しました。
それぞれの時代で、仏道修行の形は異なります。
「仏法は時によるべし」です。
しかし、根本の軌道と精神は変わりません。
法のため、民衆のために、人生を捧げていくのです。
正法は、こうした人たちの労苦の「行動」によって、伝えられてきた。
それぞれの時に適った「行動者のリレー」で伝わってきたのです。
仏教史上の偉業です。
【三国四師】
万人の幸福へ「正法」を弘めた仏法者インドの釈尊、
中国の天台大師、
日本の伝教大師・日蓮大聖人


