【法華弘通のはたじるし】
争いの時代・末法を救う未曾有の大法
日蓮大聖人は御本尊を「法華弘通のはたじるし」として顕されました。
この言葉からも、御本尊の深い意義を拝することができます。
鎌倉時代の武家社会にあって、その集団を特徴づけ、戦いの時、人々の士気を鼓舞したもの、それが「旗印」です。
そして「法華」とは、法華経、すなわち成仏の根本法である「妙法」のことです。
日蓮大聖人は、妙法が広まりゆく‘‘しるし,,として、南無妙法蓮華経の御本尊を顕されました。
御本尊は「広宣流布のために」顕されたのです。
「法華弘通」とは、どこまでも民衆救済のためです。
ここで大聖人御在世の時代状況を思い起こしてください。
天変地異、また戦乱の相次ぐなか、民衆は塗炭(とたん)の苦しみにあえいでいました。
まさに末法の時代です。
末法は、仏が入滅して久しく、その教えの力も失われていくだけでなく、仏法のなかで争いが絶えず、低い教えに固執して正法を謗る悪僧が多く現れ、民衆の間に正法への不信が蔓延する法滅の時代です。
また、その結果、社会においても争い、戦乱が絶えない、そうした時代です。
御本尊は、その‘‘争いの時代,,に生きる末法の人々を根本から救うために、日蓮大聖人が顕された、慈悲と誓願の‘‘結晶,,とも言えます。
御本尊は、妙法を弘めて、万人を救うために御図顕された未曾有の本尊です。
そもそも法華経自体が、そうした末法の困難な時代に生きる民衆を救済することを主眼とした経典ともいえます。
仏法は、最も苦しんでいる人々の味方です。
法華経の説法の場を見ても、多宝仏という仏をはじめとして過去・現在・未来の全宇宙から仏や菩薩たちが集まります。
そして、だれが末法の全人類救済を担うのかをテーマにして説法が続き、最後は地涌の菩薩に末法広宣流布が託されます。
まさに法華経のクライマックスは、末法の広宣流布を託すことにあるのです。
末法の御本仏・日蓮大聖人は、その地涌の菩薩の上首(リーダー)・上行菩薩の立場として末法の全人類を救済するために御本尊を御図顕されたのです。
この御本尊を信じて南無妙法蓮華経の唱題を実践すれば、胸中の妙法が涌現することは先ほど、確認しました。
この御本尊は、万人を、「妙法蓮華経の五字の光明」で照らし、一人ひとりが妙法の当体であるとの「生命本来の有りのままの尊い姿(本有の尊形)」を照らし出す御本尊なのです。
分かりやすくいえば、どんな境遇に生きる人であれ、だれもが、それぞれの尊い使命に目覚め、最高の輝きを放っていけるということです。
「争いの時代」と言われる末法を変えるには、御本尊を弘通して一人ひとりの生命を根源から変えていくしかないのです。
だれの生命にも、その奥底には本来、「友の幸福のために!」という願いがあります。
その願いに目覚めた民衆の広がりによってこそ、時代を覆う争いと混乱を、調和と共生に、転換することができます。
一人ひとりの‘‘生命の目覚め,,、すなわち胸中に具わる「仏の生命」の涌現をもたらす妙法(御本尊)への信を弘めることによって、全人類の救済という仏法の根本目的を実現する道が確実に開かれていくのです。
深夜にきらめく満天の星明かりも、ひとたび、太陽が昇ればかき消されてしまう。
それと同様に、末法の大法が赫々と昇れば、正法・像法時代の教えは消え失せる。
「此の大法のみ一閻浮提に流布す」これが日蓮大聖人の御確信です。
そして、この一閻浮提流布を現実のものとしたのが現代社会です。
今は、太陽の仏法が、まさに中天に昇ろうとしているのです。
世界中で、日蓮仏法の功徳の陽光が燦々と降り注いでいる。
世界のどこに行っても、日蓮仏法を実践している人がいる。
「一閻浮提広宣流布」の大きなチャンスが来たのです。
この時を逃してはならない。
今こそ、全世界の人たちが、仏法の慈光を思う存分浴びて、功徳の大輪を爛漫と咲かせて欲しい。
なんの遠慮もいらなければ、何も妨げるものはない。
自分が幸福になるための御本尊です。
万人を幸福にするための御本尊です。
日蓮大聖人が遺された太陽の仏法の功徳を、全世界の人々が満喫していくために信心があるのです。
一人ひとりが御本仏の尊き使いであり、御本尊の使いです。
仏の願いを体現する実践ですから、これ以上の「今生人界の思出」はありません。
【法華弘通のはたじるし】
争いの時代・末法を救う未曾有の大法

