【教学と法華経】8. すべての人々の胸の中に仏の生命がある ❣️菩薩はそれを信じていた。

教学と法華経

【法華経のあらすじ】
皆が成仏できる!
だから現実に皆を仏に‥‥

【釈尊と法華経】

さっそく前回の続きから始めましょう。

仏が真実の立場を明かしてから後は、どうなっていくのでしょうか。

釈尊滅後に仏法を弘める、という主題(テーマ)を、より明確に明らかにしていきます。

まず、寿量品に続いて、仏の寿命が長遠であることを聞いた功徳、また、法華経を弘める功徳が繰り返し説かれます。

なかでも、常不軽菩薩品第二十では、釈尊の過去世の姿である「不軽菩薩」の実践が説かれ、法華経を弘める人の成仏が強調されます。

「常不軽」とは「人々を決して軽んじない」という意味です。

不軽菩薩は、ありとあらゆる人々を礼拝していきました。その結果、多くの人が不軽を迫害しましたが、不軽菩薩は礼拝をやめませんでした。

すべての人々の胸の中に仏の生命があることを信じ抜いていたからです。

この不軽菩薩の実践は、法華経の菩薩行の典型的なあり方を示しているのです。

くわしくは、また別の機会に学びましょう。

続いて、如来神力品第二十一では地涌の菩薩のリーダーに、仏法の一切を託して滅後の弘経を付嘱します。「付嘱」とは、万人成仏を実現していく使命を弟子に託すことです。

地涌の菩薩が、釈尊滅後に法華経を弘めていくことを誓うと、あらゆる仏が歓喜します。

そして、地涌の菩薩が法華経を弘める功徳は限りなく大きく、さらに自由自在に法華経を弘めていけることが示されます。

現実世界で法華経を実践していく地涌の菩薩は、まさに太陽の光があらゆる闇を取り除くように、あらゆる人々を成仏させて、広宣流布を進める存在です。

嘱累品第二十二では地涌の菩薩以外の菩薩も含めて一切の菩薩らに法華経の弘経を勧めます。

この付嘱が終わると、多宝の塔は閉じられ、あらゆる世界から集まったすべての仏・菩薩は、もとの世界に帰ります。

また、地涌の菩薩も去り、これで、虚空会の儀式が終わります。

法華経の説法の舞台は、また変わるのです。たとえば次の通りです。

法華経の舞台は霊鷲山(序品第一から宝塔品第十一前半)、虚空会(宝塔品後半から嘱累品第二十二)、霊鷲山(薬王品第二十三から普賢品第二十八)と移り変わります。

二つの場所で三つの説法が行われていることから、このことを「二処三会」と呼んでいます。

薬王品第二十三以後の六章では、薬王・妙音・観世音・普賢菩薩などの振る舞いが説き示されていきます。

こうした多彩な菩薩の振る舞いを通して、現実社会のなかで法華経をもって人々を救う生き方の尊さが説かれます。

それぞれの持てる力を発揮して、仏滅後の法華経の広宣流布を助けるのです。

あくまでも、仏滅後の広宣流布の主役は地涌の菩薩です。

そして、ここで取り上げられる菩薩は、いわば主役を助ける脇役です。

そのうえで更にいえば、仏界を根本にした私たちの、医療や芸術、学問などの多彩な分野での活動の側面を描いているともいえます。

そして、この六品で、法華経が終わります。

特に薬王品第二十三では、釈尊滅後の後の五百歳,,(=末法の初め)における閻浮提(=全世界)への「広宣流布」を釈尊が呼びかけています。

最終章・普賢菩薩第二十八で、普賢菩薩が、後の悪世に法華経を弘める人を守護することを誓い、聴衆は皆、歓喜して霊鷲山から去っていきます。

釈尊の説法の最後は、滅後に法華経を弘める人を’’まさに仏を敬うように敬いなさい,,という言葉でしめくくられています。

未来の悪世に生きる民衆の救済のために、「万人を皆、仏に!」との実践を掲げ、妙法を弘める「使命」を後世に託すことこそ、法華経の真の主題なのです。

法華経は、「一切衆生の成仏」のために説かれた経典である。

文底から拝すれば、法華経は、「末法万年尽未来際」にわたって、「一閻浮提」の一切衆生の成仏を開く根源の一法である南無妙法蓮華経の御本尊の、いわば
説明書,,としての深遠な意義がある。

その要諦を納めているのが、諸法実相が説かれた「方便品」であり、久遠実成が説かれた「寿量品」であります。

寿量品の「寿量」とは、仏の寿命・功徳を詮量するという意義であります。

文底から拝するならば、「南無妙法蓮華経如来」の久遠、永遠の寿命と功徳を、つまびらかに量り、明らかにすることであります。

ここでは、「永遠の生命」が明かされ、それが一切衆生の生命の真実の姿でもあることが説かれています。

そして、この大法を弘めて、一切衆生を救っていくのが「地涌の菩薩」の使命であると示されていくのです。完

【法華経のあらすじ】
皆が成仏できる!
だから現実に皆を仏に‥‥

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