【第六天の魔王】
広布は仏と魔との連続闘争
前回の教学では、三障四魔の中でも根源的な魔が「第六天の魔王」だと学びました。
「第六天の魔王」とは、仏道修行を妨げる「三障四魔」のうち、七番目の「天子魔」の事です
御書
「たとえ、かろうじて六つは通過したとしても、第七番目の(=天子魔)に信心を破られたならば、仏に成る事は難しい」と日蓮大聖人は仰せです。
本当に、恐ろしい魔です。
ところで、「第六天」というのは、どういう意味なのか。
第六天・他化自在天、第五天・化楽天、第四天・兜率天、第三天・夜摩天、第二天・忉利天、第一天・四大王衆天。この中でも最大の欲が第六天です。
私たちが住んでいる、この現実世界の大半は、種々の欲望に支配されている世界とも言えます
その欲望の世界の頂点にあるのが第六天です。
六重になっている欲望の天の六重目にあるので、第六天と言います。
この第六天の魔王が、魔軍の家来を率いて私たちの仏道修行を妨げます。
第六天の魔王は、文字通り、あらゆる魔軍の大将なのです。
この第六天は「他化自在天」ともいい、一切を自分の欲の対象として、操ろうとする生命の働きをいいます。
誰の生命にも、起こることです。
前に、私たちの生命に「元品の無明」という「根本的な迷い」の生命があることを学びましたね。
その元品の無明が、第六天の魔王として働くのです。「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」と日蓮大聖人は仰せです。
日蓮大聖人は、さまざまな御書で、私たちが分かりやすく理解できるように、この第六天の魔王を擬人的に説明されています
(擬人的とは、人間の様に見立てる事)
具体的には、どのように描かれているのでしょうか。
まず、この第六天の魔王が、ありとあらゆる人、そして力を使って、信心を圧迫し、私たちの求道心を破壊して来ると説かれています。
「第六天の魔王は、妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、あるいは国王の身に入って法華経の実践者を脅し、あるいは父母の身に入って孝養の子を責めたりするのである」と日蓮大聖人は仰せです。
また、第六天の魔王が、家来の魔に命令するさまが、分かりやすく明かされいます。
「それぞれ、自分の能力に応じて、あの法華経の実践者を悩ましてみよ。それがうまくいかなければ、彼の門下、また社会の人々の心の内に入り込んで、諫めたり、脅したりしてみよ。それでもだめなら、私自ら出向いて行って、国主の心に入り込み、脅してみれば、どうして信心をやめさせられない事があろうか」と、日蓮大聖人は仰せです。
あらゆる手立てを尽くすのです。しかし、どうして、そこまでするのでしょう。
御書に仰せですが、「此の世界は第六天の魔王の所領」だからです。
一人が成仏するということは、第六天の魔王の支配を打ち破ることです。
皆が成仏すれば、この国土が仏の国土となる。それを魔王は嫌がるのです。
迷いの束縛の鎖を断ち切ろうとする、目覚めた民衆の存在は、支配者が一番嫌がることです。
魔王にとっては、皆が成仏することが許せないのです。
万人の生命に尊厳性を見て、民衆を幸福にしていこうとする仏とは全く対極の存在が魔王です。
だから、大聖人の仏法の実践は、どこまでも魔との戦いなのです。
それでは、この第六天の魔王を封じ込めるには、どうしたらよいのでしょうか。
第六天の魔王は、人間生命の働きである以上、自他ともの生命を変革していく実践が大事となってくるのです。
大聖人は「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」と仰せです。
第六天の魔王を唯一、破れるのは、私たちの「信心」にほかならないのです。
権力というのは魔性です。
自分たちが思う様に民衆をあやつり、自分たちを守ることが根本となっています。
自分たちのやり方や目的に反する者は悪人として扱う矛盾の世界です。
仏法では、この地球は「第六天の魔王」が支配しているから、悪人を守り、善人を嫌う世界になっていると説きます。
第六天の魔王の心が、権力者の心に入り込んでいく。
日蓮大聖人も大迫害の連続でした。
仏法は、魔との勝負なのです。
強い信心によって、戦うのです
この勝負に勝つのが広宣流布です。
広宣流布の途上では魔は強いのです。
【第六天の魔王】
広布は仏と魔との連続闘争


