(御書をゆっくり、わかりやすく)十二. 「生命」は磨く為に有る❣️生命を磨き抜く。御書【一生成仏抄】

御書

【一生成仏抄】

【生命を磨き抜く】
唱題で金剛不壊の自身に

御書
一念無明いちねんむみょう迷心めいしんは磨きざる鏡なり これを磨かば必ず法性真如ほつしょうしんにょ明鏡めいきょうと成るべし、深く信心をおこして日夜朝暮に又おこたらず磨くべし 何様なにようにしてか磨くべき 只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとはうなり

通解
無明という、根本の迷いに覆われた生命は、磨いていない鏡のようなものである。これを磨けば、必ず法性という、生命本来の清らかな働きが現れ、輝く鏡のような生命になる。深く信心を起こして、日夜に、朝に夕に、また怠ることなく磨いていきなさい。では、どのようにして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くという事である。

「南無妙法蓮華経」の唱題の意義を説かれた「一生成仏抄」。

誰もが、この身のままで、この一生のうちに必ず仏になれるという「一生成仏」の深義が明かされています。

建長七年(1255年)頃に著され、富木常忍ときじょうにんに与えられた、御書とされています。

祈った瞬間から、生命は磨かれ、光輝く。どんな逆境にあろうとも、必ず良い方向へ向かっていく。逆に途中で祈りをやめてしまえば、生命は無明の曇りに覆われてしまう。人生は一瞬一瞬、仏と魔との闘争である。ゆえに日蓮大聖人は、「深く信心を発して」と、無明に立ち向かう「勇気」を促され、「日夜朝暮に又懈らず」と、信心の「持続」の重要性を教えられたのです。

大聖人は本抄で、人間の生命を「鏡」に譬えられました。大聖人御在世当時の鏡は、「銅鏡」が一般的であったため、磨かずに放っておくと、曇ってしまう。曇った鏡は役に立たない。だからといって、曇った鏡を捨てて、別のきれいな鏡と取り換えるのではない。どんなに汚れ、曇った鏡でも、磨けば必ず玉のような「明鏡」になると仰せです。

私達の生命は本来、光り輝く明鏡なのである。生命の中に有る、御本尊を信じてお題目を唱え続けて、生命が磨かれる。仏界の生命が存分に顕れ、福徳が輝いて行くのです。

信心とは、信じる心、そしてその根本は、「祈り」であります。

自身の事、友の事を、具体的に祈って行く事であります。

「慈悲」の根本も祈りであります。

「指導」の根本も祈りであります。

「指揮」をとる根本も祈りであります。

その根本を忘れると、生命の御本尊から外れた関係になってしまいます。

南無妙法蓮華経と唱える事で、釈尊の弟子であり、法華経を学ぶ者でありますと、断言しているのです。

偉大な釈尊も日蓮大聖人も、全身全霊で、弟子を護るのです。また、ガンジス川の砂の数程の諸天善神もお護りになっています。

たゆまぬお題目で、自身の生命をダイヤモンドのごとく金剛不壊に鍛え上げ、あの友、この友の生命の鏡をも輝かせて行く事が、私達の誉れなのです。

【生命を磨き抜く】
唱題で金剛不壊の自身に

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