【御書根本】
万人に開かれた「希望の哲学」
今回は、信・行・学の「学」を研鑽していきます。
「行」つまりお題目と、「学」つまり教学の両方が、補い合って、より深い仏法の実践が可能となるのです。
そこで、「学」ですが、これは、日蓮大聖人が教え遺された「御書」の拝読を根本にして、正しく仏法の法理を学んぶことです。
日蓮大聖人が末法の御本仏であると正しく拝し、仏法の本義を誤つことなく実践して行きます
その為に、大聖人が末法の人々の救済の為に著された御書を重要視しているのです。
しかし、大切なのは、民衆救済に生き抜いた大聖人の御心に触れて行こうする「信心」です。
それが根本です。
一日に一文一句でも、御書を学んでいこうとする心と実践が、長い目で見た時、結果として教学の力となって行くのです。
まず、その前に、大聖人の時代から見ておきましょう。
大聖人の執筆されたものを「御書」と呼んで大切にされたのは、大聖人の御精神と実践を正しく受け継いだ日興上人です。
大聖人の執筆されたものには、日蓮仏法の法門を示す為に著された論文や、各地の門下への励ましのお手紙(=御消息文)などが有ります。
お手紙には、かな交じりの平易な文章で記された物も多く有ります。
知識が十分に無い庶民が読める様にとの大聖人の慈愛の表れでした。
日興上人以外の弟子達(=五老僧)は、そうした大聖人の御心を知らず、大聖人がカナ交じりのお手紙を残された事を恥とさえ思い、お手紙を焼いたりするなど、ないがしろにしたのです
師匠である大聖人への裏切りです。
日興上人お一人が、大聖人の著作を、全て「御書」と呼んで大切にし、各地に散らばっていた御書の収集に努められました。
大聖人の仏法は「民衆の仏法」です。
決して僧など一部の人たちの専有物では有りません。
万人が幸福になっていく為に、大聖人の仏法はあり、御書があるのです。
経典とは仏の説法を記した物ですが、大聖人は末法の御本仏ですから、御書は「末法の経典」と言えます。
御書を根本にしていく時、人生を勝利する為の信心の軌道を誤りなく、進んで行く事が出来る様になるのです。
日蓮大聖人の仏法を奉ずる私達は、大宇宙の根本の法則、すなわち妙法に則って生きる事が出来、また、その意義を御書を通して確認する事が出来る。
「信・行・学」の軌道によって妙法に直結できること以上に素晴らしい事はありません。
また、そこにしか、自受法楽という永遠の幸福を築く道はありません。
【御書根本】
万人に開かれた「希望の哲学」


