中身をのぞいてみましょう。
序品【第一章】その1
法華経と共に
最初に「如是我聞(是の如きを我れ聞きき)」の句から始まり、続いて法華経の説法の場所となる王舎城の霊鷲山に、たくさんの衆生が集まっている事の紹介が始まります。
次に釈尊が無量義処三昧に入って、種々の不思議な現象を現します。
*無量義処三昧とは、仏の無量の教えの根源の法に皆が心を定めて三昧する。(皆で瞑想を行う)
またこの時、釈尊己心の菩薩・声聞など数多く呼びおこされます。
三昧の中では、天から曼荼羅華や曼珠沙華などの花が、菩薩や衆生の上に降ったり、大地が六種に震動するなどの現象が始まります。
【曼荼羅華】諸仏出現のときなどに天から降り、色が美しく、芳香を放ち、見る人の心を楽しませるという花。
【曼珠沙華】サンスクリット語で「赤い花」「葉より先に咲く赤い花」を表す言葉が「曼珠沙華」の語源といわれます。「天上の花」という意味も持ちます。
これによって、その場の衆生はかつてない気持ちになり、歓喜して一心に釈尊を見ます。すると、眉間の白毫から光を放ち、その光が東方の一万八千の世界をくまなく照らし出します。
【白毫】仏の眉間にある白い巻き毛。右旋していて光を放ち、無量の国を照らすという。
大聖人は「白毫の光明は南無妙法蓮華経なり」と仰せです。
妙法の光であるからこそ、下は無間地獄から、上は有頂天に至るまで照らし出したのですと。(無間地獄は妙法の光で無いと照らす事が出来ない)
ここで、皆の驚きと疑問に弥勒菩薩が代表して釈尊に質問します。
「諸々の不思議な現象をなぜ現したのでしょうか」と。
その時、近くに居た文殊菩薩が釈尊に変って質問に答えます。
私は過去世に日月燈明仏という過去の仏が、同じような瑞相を示して法華経を説いていたと、弥勒菩薩に説明致します。だから今の釈尊も、きっとこれから法華経を説くだろうと。
法華経は生命論なので、いつの時代に説明されてもおかしく無いのです。
そして、法華経の本文が始まります。
「登場人物」を経文の順に、略して書いて行きましょう。
①阿若憍陣如・舎利弗・摩訶迦葉など、声聞弟子の最高位である阿羅漢の境地を得た一万二千人の比丘たち。
その他に戒定慧を学びし方、学びを終えた方達が二千人が居ました。
(戒定慧=仏道修行に必要な三つの大切な事柄。悪を止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧。)
②釈尊の叔母、釈尊の出家前の妻と、その眷属数千人。
③文殊菩薩、観世音菩薩など八万人の菩薩の方々。
④帝釈天、四大天王、梵天など天界の王や王子たち。その眷属十数万。
⑤八人の竜王とその眷属。
⑥四人の緊那羅王とその眷属。(緊那羅王=美しい歌声をもつことで有名で、天界の歌の神様です。)
⑦四人の乾闥婆王とその眷属。(乾闥婆王=天界で音楽を演奏する楽師の神様)
⑧四人の阿修羅王とその眷属。(阿修羅王=元は呼吸の神様でした。闘争を好む鬼神の一種です。戦闘を好む神様なので、闘争の繰り広げられる場所や状況を修羅場と言うようになったそうです。)
⑨四人の迦楼羅王とその眷属。(迦楼羅王=仏教において、毒蛇は雨風を起こす悪龍とされ、煩悩の象徴といわれる為、龍(毒蛇)を常食としている迦楼羅は、毒蛇から人を守り、龍蛇を喰らうように衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥として信仰されています。)
⑩阿闍世王とその眷属。(阿闍世王=釈尊に敵対していた提婆達多にそそのかされ、釈尊に帰依し外護していた父・頻婆娑羅王を幽閉して死亡させ、自ら王位についた。その後も、提婆達多にそそのかされて、象に酒を飲ませてけしかけさせ、釈尊や弟子たちを殺そうとしたが失敗しました。)
以上、ざっと数えて、少なくとも、数百万の衆生が法華経の聴衆者となるのです。
冒頭でも書いた様に、法華経が表現しているのは、仏の己心の世界、悟りの世界です。(無量義処三昧)
その意味で、列座大衆のそれぞれは、全て生命の働きの象徴と考えられます。
日蓮大聖人は御本尊を御図顕された時は、ほぼこの方々を顕されています。
それは、妙法であり生命の根源だからです。
十界で言えば、菩薩界、声聞界、天界、人界、修羅界、畜生界の衆生がいる。ここにおられた大衆をもって、釈尊は、九界全体を代表させ様としたのです。
つまり、序品の大衆は、釈尊在中の仏の己心に包まれた九界の衆生の姿と言えるのです。
そして大衆の中で、先ず最初に阿若憍陣如の名前が出ています。
彼は、釈尊が成道した後、初めて教化した五人の比丘の一人です。いわば、釈尊の最初の弟子となるのです。
そして、最後にあげられている阿闍世王は、提婆達多と共謀して、釈尊に敵対した人物です。釈尊の晩年になって自らの罪を悔い改め、釈尊に帰依したと伝えられています。
つまり最初の弟子と最晩年の弟子がいるという事は、釈尊の一生の間の門下を、全て含めていると見て良いのです。
また仏教以前からインドの各地で信仰されてきた神々が、法華経の会座に列座しているのも興味深いです。
これは、これまで最高の存在とされた神々を、「外にあって人間を支配する実体」ではなく、人間の生命、そして宇宙の生命の「働き」としてとらえた。その釈尊の考えを伝える場でもあったのです。
この様に、仏の悟りは深く生命の根源に到達しているのです。その根源の一法を明かすのが法華経です。ゆえに法華経を行ずる者は、諸天をも動かす生命の王者となる。
大聖人は「心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず」と仰せです。
また、天と阿修羅、竜と迦楼羅といった敵対関係にある者達が、同席しているのも、法華経は平和と平等の教えであると考えられます。
中身をのぞいてみましょう。
序品【第一章】その1

