(法華経と共に)[7]師匠の願いは、弟子の願い❣️親は子を、子は親を愛する。法華経【第四章】信解品,完結

法華経

法華経【第四章】信解品しんげほん 完結

法華経と共に

さっそくですが前回の続きを始めましょう。

物語では【やがて、父は病気になりました。死が近い事を悟った。そこで父は息子に言った。

「私には多くの財宝があり、蔵に満ちている。その量と、人々にどれだけあたえるべきかを、お前は全て分かっている。お前は、私の意志をついで、この財産を管理して行きなさい。

何故なら、私とお前は全く違いが無いのだから。心して財産を失わない様に」と。息子は財産の管理を全てまかされる様になった。そして、その財産を大切に管理した。しかも、その財産の一分も自分の物とする事は無かった。】

教学では
「命じて家業を知らしめる」という段階です。「知らしめる」とは、管理させるという事です。

しかし、どんなに自由に管理しても「自分のもの」では有りません。

まだ仏の智慧という財産は、自分の物にはなっていません。

日蓮大聖人が「一生成仏抄いっしょうじょうぶつしょう」では、「心外しんげに道を求めて万行万善まんぎょうまんぜんしゅうせんは譬えば貧窮びんぐの人日夜に隣の財をかぞへたれども半銭の得分とくぶんもなきがごとし」

通解もし、心の外に道を求めて万行万善まんぎょうまんぜんおさめ様とするのは、例えば貧しさにきゅうしている人が日夜に渡って隣の人の宝を数えたとしても、半銭の得分とくぶんもない様なものである。とも仰せです。

物語では【しばらくして、父は息子の心根がようやく立派になり、かつて卑屈ひくつな心根を恥じ、大きな志に立った事を見てとった。

そこで、父は臨終りんじゅうにさいして、親族な国王・大臣らを集めて、げた。

「諸君、この人物は実は我が子なのである。私の実の息子である。家出をして五十年間、放浪ほうろうしていたのだ。本当の名はこれこれだ。私の名はこうだ。一生懸命に探していたが、ここでたまたま出会う事が出来た。今、私は、自分の全ての財産をこの子にゆずる」と。

息子はこの真実を知って、このうえ無い歓喜かんきに包まれた。「この素晴らしい財産を、求めずして、おのずから手に入れる事が出来た」と。】

教学では、ついに息子のこころざしが高く大きくなったからこそ、そこで名乗りがなされ、全財産がゆずられた。

衆生の機根が高まったからこそ、真実の教えである法華経が説かれた。

そして、成仏という無上の宝聚ほうじゅあたえられたのです。

この一連の流れはこうです。

釈尊は、まず初めに自らの悟りの世界を、大々的に表しました。

この時に説かれた経文が華厳経けごんきょうでした。

しかし、二乗にはまったく分からなかった。

まるで飛行機を見た事も無い人に、飛行機の話をする様な物でした。

そこで、釈尊は人々の低い志に合わせて、低い目標を設定した小乗しょうじょうの教えである阿含経あごんきょうを説いたのです。

次に、志が高い人々の為に、大乗の諸経典しょきょうてんを説いた。

けれども二乗達は、小乗の教えに執着しゅうちゃくして、大乗の教えに見向きもしなかった。

二乗達は、その頃の事を回想かいそうして、次の様にべています。

「一日の給料をもらえただけで、たくさんもらえたと満足していて、さらにもらおうとは思わなかった様な物である」と言っています。

釈尊は、小欲知足しょうよくちそく(わずかな欲望で満ち足りている事)は大切だが、正法しょうほうに対しては貪欲どんよくであらねばならない、と。

欲を消し去るのでは無い。

何を欲するかが大事なのです。

煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい」です。

無上の悟り、菩提を求める欲は、すなわち菩提となる。

自分は、この程度で良いのだというのは、謙虚けんきょて、実は、生命の可能性を低く見る大慢だいまんなのです。

二乗達は、小乗の小法に執着しゅうちゃくして大乗に向かいませんでした。

そこで、釈尊は、二乗をきびしく弾呵たんかしたのです。弾呵=小乗の教えにとどまっているのをしかること。

信解品の中で、こうも書かれています。
四大声聞たち
いわく「昔、釈尊は、菩薩の前で、声聞で小法に執着して求める者を非難された事があった。それは、実に大事をもって教えようとされたのでした」と振り返っています。

「大事」とは、唯一の真の大乗である法華経の事です。

これが仏の真の「財産」です。

さて、この様に信解品は、声聞達が「仏の教えを信じ、納得して、心から喜んだ」姿を描いています。

法華経の説く「信仰」は、人生という難問題に対して、安易あんいな回答を得ようとするのではない。むしろ、そういう安易さを拒否きょひし、「しん」信じる事と「」さとる事という、生命探究たんきゅうの二つの武器を握り締めて、限り無く問い続け、限り無く向上して行く。そのエネルギーを与えてくれるものなのです。

また、生命という親のもとに、放浪の息子が帰還きかんする物語とも言える。

信解しんげ」。それは、現代という「精神の漂流ひょうりゅう時代」を正しく方向づけ、生命の高みに向かって進歩させて行くキーワード、と言えるのではないでしょうか。

3部に続くお付き合い、ありがとうございました

法華経【第四章】信解品しんげほん 完結

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