創造神・絶対神を立て無い どこまでも現実の人間から離れ無い
【人間の為の宗教】
不幸の解決と幸福の実現を
ここでは、「五重の相対」という基準を受けて、日蓮大聖人の「本因妙の仏法」が「人間の為の宗教」である事を学びます。
これまで「五重の相対」を学び、日蓮大聖人の仏法が、いかに優れた教えであるかが分かりました。
「五重の相対」は、順番に見て行くと、人間の限りない可能性を次々と開いて行く法理だと思います。
人間の偉大な可能性を開発して行く基準とも言えます。
その観点から見ると、「五重の相対」によって、明らかになる真の仏法の特徴について、次の様にも言えます。
①創造神・絶対神を立て無い。
どこまでも現実の人間から離れない。
②自他共の幸福を目指す道を説く。
③成仏できる人、出来ない人、といった差別を受けない。
万人平等の尊厳性を明かす。
④「三世永遠にわたって崩れざる幸福」を万人が確立するために、仏自身が「変革への絶えざる挑戦」の姿を示す。
⑤「いま」「ここで」「その身のまま」で、万人が仏の生命を開く方途を確立した。
まさに「人間以外に仏はいない」「万人が尊貴」の哲学をうち立てたのが日蓮大聖人の仏法なのです。
また、この五つの条件を満たして、はじめて、「人間主義の宗教」といえるのではないでしょうか。
日蓮大聖人の文底仏法こそが「人間のための仏法」です。
南無妙法蓮華経には一切が含まれています。
まさに「成仏の種子」です。
種子には「可能性としての未来」が含まれています。
この仏法を持つ人の生きる姿勢も、現在から未来へと向けられているのです。
その意味で、この大聖人の仏法を「本因妙の仏法」と呼びます。
これに対して、釈尊の仏法は「本果妙の仏法」です。
「本因」「本果」とは、
「因果」の理法に基づいた表現です。
現在という瞬間を、過去の因果の「結果」と見る傾向が強いのが「本果妙」の仏法です。
過去へとさかのぼり、現在の結果が、なぜ作られたかを見る姿勢です。
これに対し、現在という瞬間を、未来への因果の「原因」と見ていくのが「本因妙」の精神です。
現在の因によって未来を大きく開いていこうとする姿勢です。
人々が、何度も生まれ変わって、得脱(=成仏)に至るのが、釈尊の脱益仏法でした。
いわば、九界の現実を離れて、はるか彼方の成仏という本果のゴールを目指して進む教えです
実際には、現実の自分が仏になるには、長遠な期間が必要だったという事です。
これに対し、日蓮大聖人の下種仏法は、成仏の根本原因を南無妙法蓮華経として、直ちに説き明かしています。
成仏の根本の種を、現実の自分自身の心田に植える事が出来るので、我が身にやすやすと仏界を涌現させる事が出来ます。
むしろ、今度は、自身の内かる仏界を原点として、現実の九界の世界(本因)に飛びこみ、変革に挑戦していく。これが日蓮仏法の素晴らしさです。
常に希望をもち「さあ、これからだ」と前進し続ける生き方が、本因妙の仏法の精神です。
宗教のあり方の意味が一変しました。これまで、一般に宗教というと、「悟り」を目指して、ひたすら特殊な世界にこもって修行にあけくれする印象があると思います。
日蓮大聖人の本因妙の仏法は、そうした考え方とはまったく異なります。
いうならば、仏界涌現が「ゴール」なのではなく、そこから出発するのです。
そして、現実に生きる人々の中で、共々に幸福になろうと挑戦し、社会を変革していくダイナミックな方向性を持っていると言えます。
「人間のための宗教」という意味がよく分かりました。
「宗教のための宗教」
「宗教のための人間」
になってはならないということです。
牧口先生、戸田先生、池田先生、この歴代の創価学会の三人の会長は、どこまでも現実の向上に挑戦して、人々の不幸と悲惨を解決し、平和を実現することが、真の宗教の目的であることを教えています。
牧口先生は、「人を救い、世を救うことを除いて、宗教の社会的存立の意義があろうか。人を救うことは利的価値ではないか。世を救うことは道徳的価値ではないか」「宗教とは生活そのものの中に存在しなければならないはずである」とおっしゃています。
戸田先生は、「真の宗教は、科学を平和と人類の幸福のために用いるべく指導し、かつ、この科学を大衆の幸福を創造するために利用しなければならないのである。政治も、文化も、経済も、すべて、一切大衆の平和と幸福を建設する方向に指導することのできる強い宗教でなくてはならない」とおっしゃています。
池田先生は、「二十一世紀の宗教の第一の鉄則は、『宗教のための人間』ではなく『人間のための宗教』を確立することではないでしょうか。人間誰しもが持つ善性を引き出し、開花させる源泉となることが宗教の果たすべき役割であり、”人々と社会に貢献する人材,,の輩出競争こそ、宗教の生命線だと私は思うのです」とおっしゃています。
大聖人の仏法こそ、二十一世紀の人類が待望する真実の「人間のための宗教」なのです。
【人間の為の宗教】
不幸の解決と幸福の実現を


