法華経【第五章】薬草喩品その2
法華経と共に
さっそくですが、
前回の続きから始めましょう。
法華経という「大宗教文学」の中でも、「三草二木の譬え」には独自の面白さが有ります。それは、衆生の多様性を強調している事です。これは法華経の七譬(七つの譬え話)の中では唯一です。
また、それによって、同時に、仏の慈悲の平等性が浮き彫りにされているのです。
仏の慈悲は、完全に平等であり、差別は無い。
一切の衆生を我が子と見て、自分と同じ仏の境涯へと高めようとしています。
それは「衆生に差異(他と異なる事)が無い」からではない。
「仏が衆生を差別しない」のです。
むしろ仏は、衆生の違いを十分に認めている。
衆生の「個性」を尊重し、自分らしさを存分に発揮する事を望んでいる。
衆生に違いがあるからといって、偏愛(かたよって愛する事)したり、憎んだりしない。
個性を愛し、個性を喜び、個性を生かそうとする、それが仏の慈悲で有り智慧です。
またここで登場する仏とは、釈迦牟尼世尊でも有り様々な仏様方でも有りますが。基本的には仏性から目覚めた方々の事を言います。即ち我々も仏性を持っていますので、個々個人にこの様な生命力が現れる時も有ります。
薬草喩品にはこう説かれています。
「我は一切を観ること、普く皆な平等にして、彼此、愛僧の心有る事無し、我に貪著無く、亦た限礙無し、恒に一切の為に、平等に法を説く、一人の為にするが如く、衆多も亦た然なり」
通解・仏は常に、全ての者の為に平等に法を説く。彼と此れと分け隔てる心や、愛憎の心なども無く、正に一人の為に説く様に、多くの人々に説くのだ、と。愛憎=愛したり憎んだりする事。
大事な事は「人間の多様性を認めるところから、仏の説法が出発している」という点です。
状況も違う、個性も違う、機根も違う具体的な一人一人を、どうすれば成仏させる事が出来るか。
個々の人間という「現実」から一歩も離れずに、成仏への道筋を明かすのが法華経です。
一人を大切にこそ、法華経の「人間主義」であり、「ヒューマニズム」なのです。それが「仏の心」です。
一切衆生の成仏という法華経の根本目的も、一人を大切にから出発し、そこを徹底させる以外に無いのです。
ドストエフスキーは「人類を全体として愛すれば愛するほど、個々の人間を、つまり独立した人格としての個々別々の人間を愛する事が少なくなる」「抽象的に人類を愛するという事は、ほとんど例外なく自分だけを愛するという事になる」と言ってます。
言い換えれば、自分しか見えなくなってしまう、という事です。その為に法華経が説かれたのです。仏の慈悲は平等であるから安心して自分らしく成仏しなさいと。
ご視聴ありがとうございます。
続きは、次回のお楽しみに。
法華経【第五章】薬草喩品その2


