【久遠実成】(下)
‘‘あなた自身が仏,,が法華経の真髄
真実の仏は私たち衆生が住むこの現実世界で、万人の成仏のために行動し続けることを前回、学びました。
仏は‘‘現実,,から決して離れません。
仏とは、民衆とともに永遠に戦い続ける人なのです。
そこで、素朴な疑問ですが、仏の生命は永遠なのに、なぜ、入滅(=仏が亡くなること)するのでしょうか。
真実の仏の生命は永遠ですが、人々に仏を求める心を起こさせるために、仮の‘‘入滅の姿,,を示すのです。
このことを「方便現涅槃(方便もて涅槃を現ず)」といいます。
「方便」とは‘‘仮の手段,,、「涅槃」とは‘‘仏の死,,という意味です。
釈尊は寿量品で譬喩を通して、この考え方を語ります。
その譬喩が「良医病子の譬え」です。
良い医者と、病気の子どもの話です。
良医に、多くの子どもがいました。ところが、その子どもたちが誤って毒薬を飲んでしまいます。
そこで、父の良医は薬を調合して、子どもたちに飲ませようとします。
しかし、毒が回って正しい判断力を失ったために、その薬を‘‘まずいだろう,,と思って飲まない子どもたちもいました。
そこで、良医は一計を案じます。
‘‘この良薬を置いていくから、自分で取って飲みなさい,,と言い残して、よその国に行ってしまうのです。
良医は、旅先から使者を子どもたちのもとに遣わし、‘‘父(の良医)は亡くなった,,と告げさせます。
子どもたちはその知らせに嘆き悲しみ、その驚きで毒気から醒めて、父の残し置いた良薬を飲んで回復します。
父の良医はそれを聞いて、子どもたちのもとに帰ってきた。
ざっと、こういうストーリーです。
「良薬」が大きなカギになっていました。
結論だけいえば、この「良薬」が、万人に具わる‘‘根源の法,,です。
釈尊自身を真実の仏たらしめた‘‘成仏の根本法,,です。
具体的には、万人の成仏を実現する南無妙法蓮華経です。
そして、この譬喩には深い意味が込められています。
そのなかで、父である良医が実際には亡くなっていないのに、使者に‘‘亡くなった,,と告げさせたことが「方便現涅槃」を表しています。
‘‘子どもたちのために、良薬を残して去った,,。
それは、‘‘成仏のための根源の法,,が万人の胸中に具わり、未来の人々を、その法に目覚めさせるのが、‘‘真実の仏の働き,,であるこもを意味しています。
これまで、仏の生命は、本来、私たち自身の胸中にもあることを何度も教わってきました。
その内なる仏の生命に「目覚める」ことが重要になるということです。
そのために、仏は自らの死である‘‘涅槃,,も含めて、あらゆる‘‘手立て,,を尽くすということです。
仏は、自らの内なる仏の生命に目覚めた瞬間、生きとし生ける、あらゆる生命が、もともと自らと同じ仏の生命を内に具えていることを覚るのです。
そして、その仏の生命を開き顕せば、だれもが、人生のどんな悩み、迷いも乗り越えられ、最高に「人間らしい」生き方を実現できると、仏は考えます。
法華経寿量品の末尾には、その仏の永遠の一念が説かれています。
「仏は常に次のように心にかけている。どうすれば衆生を無上の道に入らせ、速やかに仏身を成就させることができるだろうか」と。
ゆえに、仏は、万人の救済のために、休みなく、妙法を説き続けていきます。
‘‘自らの内面にある仏の生命に目覚めよ!,,と、限りない慈悲と智慧の行動を続けていくのです。
繰り返し学んできたように、法華経には「皆が仏である」という真理と、「皆を仏にする」という実践の両方が説かれているのです。
寿量品では、真実の仏の姿を通して、‘‘あなた自身が仏である,,ことへの目覚めをもたらしているのです。
しかし、時代がたつにつれて、法華経が伝えようとした真実が、分からなくなってきます。
とりわけ、末法は、自他の仏性、すなわち自分の中にも他人の中にも、仏の生命が具わっていることが、ますます信じがたくなっていく時代です。
そうした末法における民衆のために、日蓮大聖人は、法華経の根幹部分である‘‘成仏の根源の法,,を南無妙法蓮華経として示されました。
そして、万人が妙法に‘’直結,,できるように、御本尊を顕されたのです。
御本尊には、万人の内面に秘められていた‘‘成仏のための根源の法,,が認められています。
‘‘仏の生命を、自らの内面に求めよ。そして、自他ともの仏の生命を開いていく実践を始めよ,,。
これが、久遠実成を通して、法華経が後世の人類に呼びかけたメッセージです。
そして、その真髄を具体的に、しかも本格的に実現し、万人がその行動に参加できるようにしたのが、日蓮大聖人にほかならないのです。
日蓮大聖人の仏法を奉ずるに、大宇宙の根本の法則、すなわち妙法に則って生きることができ、また、その意義を御書を通して確認することができる。
「信・行・学」の軌道によって妙法に直結できること以上に素晴らしいことはありません。
また、そこにしか、自受法楽(妙法の功徳を自身で享受すること)という永遠の幸福を築く道はありません。
自らが歩んだ幸福の軌道に全人類を直結させようとするのが、真の仏の行動です。
釈尊は自分が妙法の当体であることを覚知しました。
そして、あらゆる生命も同じく妙法の当体であり、同じ自受法楽を得ることができる存在であると知った。
しかし、残念ながら、人々は真理に目覚めていない。
さまざまな迷いに覆われて、愚行を繰り返し、苦悩に陥っている。
自分と同じ可能性を持つ人々の生命を慈しむがゆえに、人々の苦悩を悲しみ、同苦します。
そこで、万人に秘められた真理を人々にも自覚させていくために、法を語りに語り抜いていったのです。
自分が悟った「永遠の法」に人々を目覚めさせていくために、「全人格」をかけて戦うのが仏なのです。
【久遠実成】(下)
‘‘あなた自身が仏,,が法華経の真髄


