【開三顕一】
法華経だけが万人を
成仏させる教え
法華経方便品第二に説かれる「諸法実相」の法理を通して、‘‘だれもが平等に成仏できる,,裏付けが明らかになりました。
法華経が画期的な教えであることへの理解が、また一歩、深まったということです。
さらに、また別の観点から、「万人の成仏」を考える法華経の素晴らしさを学びましょう。
方便品第二で「諸法実相」の教えが説かれたあと、さらに釈尊は、あらゆる仏がこの世に出現して教えを説く根本目的は、万人を成仏させることにあると示します。
そのことを釈尊は「開示悟入」(かいじごにゅう)という言葉を通して説法します。
開示悟入とは「開かせ」「示し」「悟らせ」「入らせる」ということです。
具体的には、「仏の智慧」を万人に「開かせ」「示し」「悟らせ」、仏の智慧の道に「入らせる」ためだというのです。
経文には次のようにあります。
「あらゆる仏たちは、すべての人々に仏の智慧を開かせ、清浄なる境涯を得させたいと思うがゆえに、この世に出現して来られた」
「開き」「示す」こと自体、だれにも「仏の智慧」が具わっていることを端的に示しているといえます。
さらに「悟らせ」「入らせる」のですから、‘‘だれもが現実に成仏できる,,ことが示されたことになります。
そして、この‘‘だれもが,,ということは実に画期的なことです。
というのは、それまで、法華経以外の経典に示された、さまざまな教えを、弟子たちは‘‘声聞のための教え,,や‘‘縁覚のための教え,,そして‘‘菩薩のための教え,,だと理解してきたからです。
もう一度確認すれば、釈尊は、さまざまな教えを説きましたが、その根本目的、つまり釈尊の真意は、「万人」を成仏させる法を説くことにあり、その「法」こそ、法華経にほかならないということです。
これが、法華経迹門の柱となる「開三顕一」(かいさんけんいち)の説法です。
開三顕一とは「三乗を開いて一乗を顕す」という意味です。
「三乗」とは。
まず「乗」は、仏の教えを、苦しみの境地から悟りの境地に到達させる‘‘乗り物,,に譬えたものです。
そして「三乗」とは「声聞乗・縁覚乗・菩薩乗」のことで、それぞれ‘‘声聞のための教え,,‘‘縁覚のための教え,,‘‘菩薩のための教え,,という意味です。
これは、法華経以外の諸経の教えとなります。
また「一乗」とは‘‘唯一の教え,,という意味です。
‘‘仏に成るための教え,,こそが仏の唯一の教えなので、「仏乗」とも「一仏乗」ともいいます。
具体的には、法華経のことです。
「開三顕一」が明かされたことで、釈尊がさまざまな教えを説いた、その目的は、ただひとえに「万人の成仏」にあることが明らかになりました。
逆に言えば、法華経以外の教えは、この一仏乗を説き明かすための仮の手段、部分的な教えであったということです。
釈尊は、弟子それぞれの、教えを理解する能力にあわせて三乗の教えを説いたということです。
三乗の人々は、真の成仏の考え方が分からなかったのです。
たとえば、‘‘仏の境涯は自分たちとはあまりにかけ離れている,,と考えました。
また、九界から離れなければ、仏の境涯は開けないと理解したり、さらに仏の境涯を開くにしても、何度も生まれ変わって、気の遠くなるような長い時間をかけてやっと仏の境涯に近づけると理解しました。
これら、すべてに共通すること、それは、仏と九界の衆生との間に‘‘隔たり,,があると見ていることです。
自身の胸中に具わる仏の生命を、だれもが、ただちに開き顕せると教えるのが、一仏乗の教えです。
そして、仏界を根本としながら、万人を「内なる法」に目覚めさせる戦いを続けるのが仏です。
仏が歩んできたのと同じ‘‘成仏の軌道,,‘‘民衆救済の道,,を万人に等しく歩ませようとするのが、一仏乗の教えである法華経なのです。
舎利弗たち声聞も、この方便品によって目覚めていった。人間の中に入る行動を誓い、‘‘民衆に奉仕する声聞,,となった。真の‘‘仏弟子,,が誕生したのです。
舎利弗たちは、師の深い慈悲を感じたにちがいない。
自己中心に固く閉ざされていた声聞の心に、智慧の大光が差し込んだのです。
心が大きく開かれ、広がったのです。
そして、この広大無辺の仏の境涯に導くことが、仏の本意であったことを知った。
二乗(声聞乗・縁覚乗)や三乗(二乗と菩薩乗)を目指すことは、真実の教えではなかったことに気づいたのです。
仏の境涯に導くこの教えを、「開三顕一」三乗を開いて一仏乗(成仏の教法)を顕すという。
この開三顕一こそが、法華経の前半、迹門の中心の教えです。
なかでも、開三顕一の骨格が示されている方便品は、迹門全体の柱となります。
【開三顕一】
法華経だけが万人を
成仏させる教え


