(ゆっくり教学)36.輝きが増す❣️【難の本質】 「難」があるから、 自分を変えられる。【教学】

教学

​【難の本質】
「難」があるから、自分を変えられる。

仏法を実践していく過程かていには、さまざまな「なん」があります。

なぜ、そうした難があるのでしょう。

また、どういう意味があるのでしょう。

ここでは「難を乗り越える信心」について学びます。

仏法を実践し、弘めていく過程には、必ず苦難があります。

そうした苦難を、仏法では「難」といいます。

具体的には、修行へのさまざまな
さまたげや非難・中傷、また迫害はくがいなどのことです。

船の前進には必ず波の抵抗があります。

仏法も同じです。
それゆえに、日蓮大聖人は「法華経を
たもつ人は必ず『難』にあうと心得こころえたもつのである」と仰せなのです。

そして、ここが重要な点ですが、いかなる大難があっても、この信仰をたもち続けるなかに成仏があるのです。

このことは、学校で何度も何度も試験を受けて、単位をとって、はじめて卒業できることを思い浮かべれば、分かりやすいのではないでしょうか。

その何回も経験する試験が、いわば「
なん」です。

必ず起きる難に決して負けないことが大事だということです。

難と格闘し、乗り越えて行く中で、何ものにもくずれる事の無い仏の境涯を開いていけるのです

瞬間瞬間が、仏の生命と、成仏をさまたげる働きとの闘争です。

難の現れ方は、実にさまざまです。

自身の内面から起こってくる場合もあります。

また、自身の外からも、難はおそって来ます。

こうした、信心の支障ししょうとなる働き、信心を破壊はかいしようとする働きを「三障四魔さんしょうしま」といったり、強力な迫害者はくがいしゃを「三類の強敵ごうてき」といいます。

これらについては
のちに、詳しく学んでいきますが、こうした苦難を乗り越えて仏法を実践し続けていくなかに、成仏があるのです。

信心ゆえの苦難に立ち止まるのではなく、むしろ信心を深める
契機けいきにしていくことが大切です

仏法を実践するゆえに起こる難は、必ず信心で
解決かいけつしていけます。

そういう試練しれんるからこそ、磨きがかかり、自身の生命を根本から変革できるのです。

信心を強め、深めることで、仏界の働きが力強くなり、仏の境涯がますます開かれていくからです。

この難は、だれにでも起こることです。

結論から言えば、難は、だれの生命にもある「根本的な迷い」から起こるものです。

この「根本的な迷い」を「元品がんぽんの無明」といいます。

「元品」とは「根本」、そして「無明」は、物事が明らかに見えないことです。

成仏を最後の最後にはばむ根源的な迷いです。

これは、南無妙法蓮華経の御本尊しか克服できません。

「根本的な迷い」があるということは、「根本的な悟り」もあるのです。

私たちの生命にそなわる「根本的な悟り」を「元品がんぽん法性ほっしょう」といいます。

私たちの生命には、だれにも「元品の無明」と「元品の法性」の両方があります。

最も奥深い所から生命を変えるのが日蓮大聖人の仏法です。

私たちが唱題し、仏道修行に励むことで元品の無明を封じ込め、元品の法性をあらわしていくことができるのです。

難に立ち向かい、信心で乗り越えることで、自身の生命を根源から変革するのが成仏の修行です。

生命を鍛え、磨き、自他ともの幸福を確立して行くのが、日蓮仏法の実践なのです。

幸福をつかむには、難を乗り越えなくてはならない。

正法には、必ず難があります。

悪と戦うがゆえに、難が競い起こるのです。

大変だなと思われるかもしれませんが、風がなければ、
たこがりません。

私たちは、悪と戦い、難を受けてこそ、磨き鍛えられ、人格の
光彩こうさいを増していくんです

難に負けず、邪悪と戦い続ける人生こそ、最も
崇高すうこうであり、そこにわきいずる無限の生命力が、使命の躍動が、幸福の大空へと自らを飛翔ひしょうさせる活力となるのです。

​【難の本質】
「難」があるから、自分を変えられる。

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