【佐渡御書】
【人生の目的】
広布に生き抜く宝の日々を
御書
世間の浅き事には身命を失へども 大事の仏法なんどには捨る事難し 故に仏になる人もなかるべし
通解
世間の浅いことろには、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。
日蓮大聖人が、厳寒の流罪地・佐渡の塚原から、門下一同に与えられた御手紙です。
文永9年1272年3月20日、51歳の時の御執筆です。
この前月に著された「開目抄」の内容を簡潔にまとめられた御書であるともされています。
何ものも恐れない「不惜身命」の信心、勇気ある実践こそ、信仰の真髄であるとことを教えられた重書です。
人生、いかに生きるべきか
人生、何に命を懸けるべきか。
大聖人は一貫して、法を惜しんで身を惜しまぬ信心、すなわち「不惜身命」の信心を強調されていたのです。
この一節の前には、「身命にまさるほど惜しいものはないので、この身を布施として仏法を学べば、必ず仏になるのである」と仰せです。
もちろん、不惜身命といっても、命を粗末にすることではない。
限られた人生の時間を、自分の小さな満足のためでなく、仏法のため、広宣流布のために使うことである。
同じ一生である。どうせ悩むのであれば、広宣流布という大目的のために悩みたい。
眼前の楽しみや欲得に心を奪われ、浅い生き方をしてしまえば、ふりかえった時に、ちっぽけな、後悔の人生となってしまうにちがいない。
大いなる理想に燃えて、自他共の幸福を目指す以上の幸福はない。
それこそが最高の人生であります。
一個の人間として、また、一人の信仰者として、どう生き抜くのか。
最極の法に生き抜き、不惜身命で戦い抜く信心のなかにこそ、生命が鍛えられ、金剛不滅の成仏の境涯を確立できるのです。
今世の命には限りがある。
しかし、その命を「師弟不二」の信心で永遠の妙法に捧げ抜けば、三世永遠に成仏の境涯を確立できるのです。
【人生の目的】
広布に生き抜く宝の日々を


