(ゆっくり教学)30.生きていること自体が楽しい❤️絶対的幸福とは、人類の理想教。【教学】

教学

【絶対的幸福】
生きていること自体が楽しい。

御本尊を疑わずに、信心を生涯、続けていけば、必ず幸福な人生を築ける。

前回、「冥益」「顕益」について学びました。

信心の功徳とは「幸福な一生」になるという事なんです。

正確に言えば、今世だけでは無く、「永遠に崩れない幸福境涯」を確立して行く事が、仏法を実践して得られる功徳です。

それでは、「崩れない幸福境涯」とは一体、どういう「幸福」を言うのでしょうか。

例えば、病気の人であれば、病気を克服する事で、幸福を感じると思います。

しかし、その人が経済的に不自由を感じる様になった。

家族を十分に養って行けなくなった。

こうなると、例え健康でも、「幸福」とは感じられないのではないでしょうか。

環境や状況が変わる事で、左右されてしまう様な「幸福」では不十分だという事です。

それを「相対的幸福」と言い。

相対的幸福は、物質的に充足したり、願いが実現し、欲望が満ち足りた状態です。

しかし、欲望には限りがありません。

また、一時は満ち足りても、長続きしないものです。

「相対的」と反対に「絶対的」な幸福も有ります。

「何があっても壊れない幸福」

自身の生命を信心根幹に「仏の生命」へと鍛へ上げて行く事です。

それを「絶対的幸福」と言い。

自身に秘められた「智慧」や「勇気」や、あらゆる「生きる力」を発揮して、どんな悩みも苦しみも乗り越えて行けるのが仏です。

そうなれば、環境に左右される事なく、現実世界で価値創造して行く事が出来ます。

信心の実践で生命を磨き抜けば、私達も、そうした「仏の生命」を我が身に顕して行けます。

「どこに居ても、生きがいを感じる境涯、どこに居ても、生きていること自体が楽しい、そういう境涯です。」

どこに居ても幸福を感じるというのは、単なる気の持ち様ではありません。

信心していても、現に病気で苦しみ悩んでいれば、「幸福」とは言えないでしょう。

この場合、まず、真剣な祈りを根本に、健康を回復出来るよう病気に立ち向かって行くはずです。

もちろん、病気になる事が直ちに不幸であると言う事ではありません。

どう生きていくか、どう生きて来たかが大事です。

常に、信心で前向きに挑戦して行く、そういう積み重ねの中から、自身の生命が鍛えられ、どこに居ても、何があっても人生を楽しんで行ける様になるのです。

しかし、生きていること自体が楽しいというのは、ちょっと想像できないと思います。

自身の悩み、苦しみにだけ汲々としていたのが、友の悩みを我が悩みとして祈り、行動する人へと「人間革命」して、「生きることが楽しい」人生へと変わっていくのです。

他者に尽くす人生には、何ものにも代え難い喜びと充実があります。

また、人々が真の幸福を感じられる社会を建設することも、最高の「生きがい」に通じます。

何の為に生きるか。「自他ともの幸福を実現するため」に生きていくなかに、実は「真の崩れざる幸福」はあるのです。

自己の小さな満足を突き抜け、さらに全民衆の救済という大願に生きてこそ、日蓮門下の信心である。

そこに、永遠にして不滅なる広布の大河も開かれる。

また、佐渡に流罪されながらも、「喜悦はかりなし」と言われた、あの大聖人の御境涯に連なり、大歓喜にあふれた絶対的幸福境涯を会得しゆく直道もある​

【絶対的幸福】
生きていること自体が楽しい。

31.幸せの知恵❣️ 万人の幸福へ仏法の智慧を生かす。【教学】

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