法師品(第十章)衣座室の三軌編 その2【法華経】
二.「柔和忍辱の心」
法華経と共に
さっそくですが、前回の続きから始めます。
「柔和忍辱の心」、如来の「衣」に譬えられているのは有名なところです。
衣が寒熱から身を守るように、柔和忍辱の衣があれば、難に粉動されないということです。
私たちの弘教においても大切なことです。どんな圧迫があろうとも、にこやかに、悠々たる境涯でいきなさいということです。
滅後の弘教においては、難は必然です。そこで「忍辱の心」が必要になる。耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもない。耐えて勝のです。
心は何があってもへこたれないのです。広宣流布は精神の闘争です。
心が負けていては「忍辱の心」にはなりません。
大聖人は「撰時抄」で「王地で生れたれば身をは随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」と仰せです。
「身を随えられる」とは、難を受けて忍ぶことです。「心は随えられない」というのは、心では負けていないということです。
それが「忍辱の心」です。大聖人が佐渡に流されたのは、身をば随えられたのです。
しかし、お心は「流人なれども喜悦はかりなし」との大境涯であられた。忍辱の心とは、最も強い心です。真の勇気があるから、耐えられるのです。
勧持品(第十三章)に「忍辱の鎧」とあるのは、その強さを譬えているのでしょう。
仏の別名を「能忍(能く忍ぶ)」という。釈尊も大聖人も「耐える人」であられた。
法師品では、法師が難に遭うことを強調しています。大聖人が身で読まれた「此の経は、如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」の文も、法師品で説かれます。
法師が難に遭う理由は、法華経が難信難解の経であるからだと説かれています。
難信難解だから、釈尊の在世ですら怨嫉が多かった。まして、滅後においては、さらに難が大きい、と。
「況んや滅度の後をや」なぜ、仏の「在世」よりも「滅後」のほうが難が大きいのか。「滅後」とは、仏の精神が忘れられ、宗教的、思想的に混迷する時代のことです。
仮に仏を崇めているようでも、肝心の「仏の精神」は忘れ去られている。仏教の「宗派」はあっても、「仏の心」は生きていない。
「宗教のための宗教」はあっても「人間のための宗教」はない。法華経は、とくにそういう時代のために説かれた経典です。
「仏の心」を忘れ去った時代に、「仏の心」を伝える法華経を弘めるからこそ、怨嫉が多いのです。
人間性を失った時代に、人間性の回復を唱えきっていくのは大変なのです。
その意味では、何の難もないのは、本当の意味で正法を弘めていないということです。
宗門などは、戦時中も現在も、何の難も受けていない。それに対して法華経の行者が難を受けているということは、まさに法華経を身読している姿です。法華経の行者が「仏の心」を実践しているという証明です。
迫害につきものなのが策謀です。釈尊の時代も、でっち上げのスキャンダルや、冤罪が絶えなかった。
悪人たちは自分たちが殺人を犯したうえ、その罪を釈尊の門下にかぶせることによって、仏教教団を社会的に抹殺しようとさえしました。
大聖人の場合も、念仏者などの一派が鎌倉で殺人や放火を犯し、それを大聖人門下がやったと言いふらして、大聖人を佐渡へ流罪させました。
この時も大聖人の教団が、あたかも危険な集団であるかのようなイメージをつくりだすことによって弾圧したのです。
いつの時代でも、正法迫害の構図には似たものがあります。だからこそ「忍辱の衣」が放せないのです。
こんな話が残っています。
一人のバラモンがいました。彼は、妻が仏教に帰依したことを快く思っていなかった。妻が、あんまり釈尊のことをたたえるので、一度、論破してやろうと行ってみたが、かえって釈尊の説法に感心し、自分も帰依するのです。
これを苦々しく思ったのは、仲間のバラモンたちです。
さっそく釈尊のもとへ押しかけ、口汚くののしった。
これに対して釈尊は、どうしたのか。
釈尊はバラモンの一人にたずねた。
釈尊「バラモンよ、あなたのところへ、友人・親戚等が・客として来訪することがあるか」
バラモン「ある。時々、来訪する」
釈尊「彼らを、食事を出してもてなすことがあるか」
バラモン「ある。時々、食事を出してもてなしている」
釈尊「もし彼らが、出された食事を受けなければ、それは誰のものになるか」
バラモン「もし彼らが受けないならば、それは私のものになる」
釈尊「バラモンよ、そのように私は、あなたからの讒謗(ざんぼう)も誹謗も非難も受け取らない。それらは、あなたのものになるのです」
まさに「柔和忍辱」にして、相手の痛いところを突いています。
「柔和忍辱の衣」を着ることによって、悪口も「心に入らなくなる」わけです。
入らなくなった分、悪口は、言った人のもとに戻って、当人が苦しむというわけです。
法師品(第十章)衣座室の三軌編 その2【法華経】


