【信心即生活】
日常の中にこそ仏道修行が
前回までのブログでは、信心とは「生活法」でもあると日蓮大聖人は仰せになっています。
これまで抱いていた宗教のイメージを一変させる、教えでした。
御書
「仏法と申すは道理なり」
仏法は道理‥自身の人生、現実の生活と社会を離れて、仏法はありません。
言い方を変えれば、社会における行動や、生活の実践の中にしか、仏法の偉大さは証明できないという事です。
道理に照らせば、そうなるはずです。
生活と人生の場で実証(=事実による証明)が示されてこそ、信仰の功力が周囲の人々にも理解されて行くのです。
けれど一般には、宗教、あるいは信仰というと、日常の現実と離れた別の所に有ると思っている人も少なくありません。
しかし、結局、生活から遊離した宗教は、観念でしかありません。
と同時に、宗教を根本にすえない生活は、根無し草に等しい物です。
信心は、時代・社会の相違を超えて、人生の根本的な勝利、真の幸福を勝ち取って行く源泉です。
また、仏法は、日々の生活、現実の社会こそ、そのまま仏道修行の道場、信心成長の舞台に他ならない事を教えているのです。
「信心」と言っても「努力」も大事になります。
努力も無しに安易に祈りが叶ったら、かえって人間が薄っぺらになるのではないでしょうか。
例えば、学校で勉強もしないで、唱題だけで百点満点が取れる・・・それでは「魔法」のような信仰です。
自分の努力した結果が、信仰の力で100% 120%発揮できる様になる。
その知恵と勇気と前進の原動力が信仰です。
御本尊への祈りが常に根本にあれば、あらゆる努力が一切無駄なく、全部、幸福の方向へと生きて行きます。
それが「信心根本」という事です。
信心が草木の根、生活が草木の幹や枝です。
信心の根が地中広く、深く張っていればいるほど、それだけ多くの「努力の養分」が吸収されて、隅々まで行き渡り、木は大きく成長し、豊かな枝葉を茂らせる事が出来ます。
そうした根本原理が「信心即生活」です。
信仰の世界でも、仕事・生活の場でも、人々から讃えられる生き方をして行く事が大切です。
日蓮大聖人は、社会で活躍する門下の代表・四条金吾に対して、こう指導されています。
御書
「中務三郎左衛門尉(四条金吾)は、(仕えている)主君の御ためにも、仏法の御ためにも、社会生活での『心根』もすばらしい、すばらしいと鎌倉の人々の口にうたわれていきなさい」と。
「信心の活動だけ頑張る」とか「社会でだけ頑張る」というのでなく、両方、必要だという事です。
この御書を頂いた時の四条金吾は、決して安穏な状況ではありませんでした。
今で言えば、信心が原因となって社会で理不尽なリストラの危機にあっていたようなものです。
しかし、どの様な状況であっても信心を根本に、社会で勝利の「実証」を示そうとして頑張った結果、主君から再評価されて所領(=領地)も増え、信仰のリーダーとしても益々活躍し、鎌倉の人々から賞賛される勝利の人生を築いたのです。
「仏法は勝負」です。
「仕事」や「生活」という現実に勝利して行く為に仏法は必要不可欠であり、また、その勝利の事実を積み重ねて行く事が、仏法の偉大さを人々に証明して行く事になるのです。
仏法においても「仏法即社会」「信心即生活」とのとらえ方があるが、自身の人生、現実の生活と社会を離れて仏法はあり得ないとの事。
言い換えれば、社会における行動や生活実践の中にのみ、仏法を証明して行く事が出来ると大聖人は教えて下さいます。
【信心即生活】
日常の中にこそ仏道修行が


