(法華経と共に)[32]慈しみから、友情が生まれる❣️法華経【第十章】衣座室の三軌編 その1

法華経

法師品(第十章)衣座室の三軌編 その1【法華経】

.「慈悲の部屋」

法華経と共に

滅後の弘教のあり方として、法師品では「衣座室えざしつ三軌さんき」が説かれます。

「薬王よ。し善男子・善女人有って、如来の滅後に四衆の為にの法華経を説かんとほつせば、云何いかんがまさに説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り、如来の衣を、如来の座にして、しかしていまし応に四衆の為に、広くの経を説くべし。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは、柔和忍辱にゅうわにんにくの心是れなり。如来の座とは、一切法空是れなり」と。

「如来の室」「如来の衣」「如来の座」香り高い表現です。衣座室の三軌は、「如来の心」を象徴的に説いたものです。

「仏は、このような心で法華経を説いているのですよ」「このような心で立てば、仏のように、難があっても弛(たゆ)まず民衆を救っていけるのですよ」とアドバイスし、弘教を勧めているのです。

では「大慈悲」が、なぜ、如来の「室」に譬えられるのでしょうか。

慈悲とは、「慈しみ」であり、深い意味での「友情」です。同じ人間として、また、同じ生命として、共通の絆を感ずることです。

「愛」と言ってもいいと思いますが、簡単に憎しみに転ずるような利己的な愛ではない。生命への洞察に根ざした人間愛です。

ともに幸福になろう、ともに成長しようという真の連帯感、とでも言いましょうか。

また、慈悲とは「ともに悲しむ」心であり、「同苦」の心でもあります。苦しんでいる人を見たら、手をさしのべずにいられない。苦しみをともに担いたい。そういう深い感情です。

慈悲は、上に立って見おろすようなものではない。タテではなくヨコです。水平です。平等の人間としての共感であります。

相手への尊敬が基本となっています。だから「慈悲の部屋」なのです。慈悲の生命空間の中に友をまねき入れ、つつみ、同じ部屋にともに座って人生を語っていくのです。

「人間として」平等の立場で、語りあい、学びあい、ともに「より正しい人生」に目覚めていく。その「場」そのものが、折伏なのではないでしょうか。

実際、いかにも救ってやろうというような傲慢は、反発をまねくだけだと思います。

大聖人は「立正安国論」で、客と対話する主人を「蘭室の友」と呼んでいます。

蘭室の部屋では、その香りが自然に衣服に染みついていきます。同様に、対話は、慈悲の香りが相手をつつみ込むようでありたいです。

弘教は押しつけでもなければ、組織のためでもない。弘教は、相手の仏界を礼拝することだから、最高の相手を尊敬する行為なのです。

「気の毒だという気持ちが折伏の根本である」と先生方は言われています。慈悲が根本だということです。相手を論破しようとしたり、こちらの勢力に取り込もうとするような、対立的な心で弘教するのではないのです。

対話ですから、相手の話を聴くことが必要です。一方的にしゃべりまくって、それで「対話した」と思っている人も少なからずいます。

相手の話をさえぎったり、頭ごなしに結論をくだすのでは、対話とは言えない。ちょっと変だな。と思っても、いちいち突っ込んだりしないで、相手の話にうなずいていくくらいの心の広さが欲しいですね。

そうすれば相手の人も安心して、こちらの話を聞いてくれる。その意味で、仏はまさに対話の名人です。釈尊も大聖人も、お会いするだけでうれしくなり、心があたたかくなるような人格であられたにちがいない。

だからこそ人々は、仏の言葉を喜んで聞いていったのではないでしょうか。「慈悲の部屋」という言葉からは、そういうあたたかく、広々とした人格がイメージされます。

釈尊のこんなエピソードが伝えられています。

ジャイナ教を信仰していたウパーリという人がいた。釈尊を論破しようとしたが、反対に釈尊の人格と智慧に感激して、仏教の信者になりたいと申し出た。ところが釈尊は、ウパーリを感服させたことを得意がるどころか、「熟慮しなさい。熟慮することが、あなたにふさわしい」と諭したのです。

ウパーリは、ますます感動して答えた。「私は、こんな話を耳にしました。『沙門のゴータマ(釈尊)は、我に供養せよ、他にはしてはならぬ。我が弟子に供養せよ。他の弟子にはしてはならぬ。われと我が弟子に供養すれば功徳がある。他に供養しても功徳はない、と言っている』と」

ウパーリは、このような、一方的に自分を押しつける釈尊ではなかったことが分かり、ウパーリは再度、「私を仏教の信者として受け入れていただきたい」と懇請したのです。

このことを知った、ジャイナ教の師匠は、弟子たちを連れてウパーリの家に行く。ウパーリは丁重にもてなしたが、師匠はウパーリを「おまえは愚か者だ」と非難した。

「論破しに行って、かえって誘惑され、教化されて帰ってくるとは!」

ウパーリは礼儀を尽くし、諄々と説いた。「そのような誘惑は、むしろ善です。これをもって、私の仲間が、すべての王族やバラモンが、世界中の人々が、教化されるならば、それこそ全世界が、永遠の幸福につつまれるでしょう」

釈尊とウパーリの最高にして、痛快な話でした。

次回は【衣座室の三軌】その2をお届けします。

法師品(第十章)衣座室の三軌編 その1【法華経】

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