(法華経と共に)[3]華が舞う様に踊る❣️マイナスも即プラスにする。法華経 【第二章】方便品

法華経

​華が舞う様に踊るが如く
方便品ほうべんぽん法華経【第二章】

法華経と共に

釈尊は序品じょぼん(第一章)で
無量義処三昧むりょうぎしょさんまいという瞑想に入って居ました。

次の方便品では、釈尊がこの三昧から立ち上がり、突然、舎利弗しゃりほつに対して「諸仏しょぶつ智慧ちえ甚深無量じんじんむりょうなり。の智慧の門は難解難入なんげなんにゅうなり」と仏の智慧の素晴らしさを語り始めます。

舎利弗が「ぜひ、続けて仏の真実の法を説いてください」と嘆願たんがんされます。

釈尊は、諸仏がこの世に出現した目的「一大事因縁いちだいじいんねん」とは、衆生をして仏知見ぶっちけん(仏の智慧、仏界)を開かしめ、衆生に仏知見をしめし、仏知見を悟らせ、仏知見の道に入らせる事であった、と教えます。

衆生の仏知見ぶっちけん(仏界)を開かせるという事は、衆生に仏知見が具わっているという事です。

仏知見があるのは、衆生しゅじょうが本来、仏だからです、と。

つまりこれは「衆生こそ尊極そんごくの存在なり」という一大宣言いちだいせんげんなのです。

私達が、ただの凡夫でいるという事は秘妙方便ひみょうほうべんといい、真実は仏なのです。我々の生命にも御本尊はかかっているのです。すなち御仏壇ごぶつだんに有る御本尊即私達と信ずるところに、この信心の奥底おうていが有るのです。

凡夫がそのまま仏である。

これは不思議です。

思議しぎしがたい。

だからみょう」なのです。

法華経を信じ無い人には、とても分からない。

」です。

森羅万象しんらばんしょう

人生で言えば、生も死も、喜びも悩みも、ばつも功徳も、生じる一切の現象、ありとあらゆる姿は、信仰者にとって、全て妙法の現れであるし、妙法を証明する方便なのです。

例えば、一人の信心の人がいます。

何らかの悩みがある。

悩んでいる姿は地獄界でしょう。

その悩みがきっかけで信心を始めた。

そうなれば、地獄界即仏界であり、その悩みは仏界にいたる為の法用ほうよう能通のうつう方便だったと言えます。

しかし、信心してからも悩みは有る。行き詰まりもある。ただ今度は、何が起こっても、全部、信心を証明する為の悩みである。秘妙方便ひみょうほうべんである。

信心の為の悩みであれば、菩薩界所具しょぐの地獄界、仏界所具しょぐの地獄界です。(悩み事もお題目を唱えて、菩薩界・仏界に入って解決かいけつしていく)

こんな尊い悩みは無い。

悩みの山に挑戦すればするほど、乗り越えれば乗り越えるほど、仏界は強まって行く。その意味で、信心が強ければ、マイナスは即プラスであり、ばつも即利益なのです。人生のうえに起こる一切が功徳なのです。

今、どんな姿をしていても、一切が「成仏イコール人間革命」という今世こんぜのドラマにとって、必要不可欠の一場面、一場面である。

真実(仏界)を表している方便が(九界)なのです。これが秘妙方便です。

大聖人は「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや」と仰せです。

苦楽は九界であり方便。妙法を唱えるのは仏界であり、仏の真実の智慧の世界です。

苦も楽も、信心という大きな高い境涯から悠々ゆうゆうと見おろして行く。そして妙法の喜びを楽しく味わって行く。

それが「妙法蓮華経方便品」(法華経方便品)を身読しんどくした事になるのです。

方便品に「如我等無異にょがとうむいごとひとしくしてことなることからしめん」と有ります。

一切衆生を、自分と同じ境涯にまで高めたいという仏の誓願せいがんです。それが「師弟」の心です。もちろん、自分もさらに成長していく立場ですから、自分と同じようにというより、この人を自分以上の人材に育てようという決意が「如我等無異にょがとうむい」に通じるでしょう。

経文には、「踊躍歓喜ゆやくかんき即起合掌そくきがっしょう」舎利弗は歓喜のあまり思わず踊りあがって、釈尊に向かって合掌したと説かれています。(華びらが空を舞う様に)

そして舎利弗は、一仏乗を納得なっとくしてこう告白こくはくしています。

(一仏乗=成仏の為の唯一の教えの意で、全ての者が成仏できるという法華経の教えの事)

舎利弗は、「今、仏から未曾有みぞう(未だかつて無い)法を聞いて、全てのうたがいやいが無くなり、心身ともに安穏あんのんになりました。今日はじめて知りました。自分は真の仏子です。仏の口から生まれ、仏の教化から生まれたのです」と。

この「仏子」という言葉は、大乗では菩薩を意味します。舎利弗は一仏乗を信解しんげして、声聞から菩薩に生まれ変わったのです。(声聞=仏の教えを聞く者)

釈尊は、「諸仏の本誓願ほんせいがんは ぎょうずる所の仏道をあまねく衆生をしてた同じくの道をしめんとほっす」と仰せです。

同じこの道を歩ませたい、不二の道を会得えとくさせたい。これが仏の「本誓願」なのです。

​華が舞う様に踊るが如く
方便品(ほうべんぽん)法華経【第二章】

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