【三障四魔】
障魔と戦い続ける賢者の生き方を
「三障四魔」とは、三つの「障り」と四つの「魔」という事です。
前回、学んだように、仏道修行の過程で、自身の内面からも、外からも、その妨げとなる働きが起こってくるのです。
「この仏法の法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が起こらなければ、実践している法が正法であるとはいえない。天台大師の『摩訶止観』の第五巻には『仏法の実践と理解に励んでいくならば、必ず三障四魔がさまざまな姿で紛らわしく入り乱れて競い起こる。(中略)しかし、それらに決して随ってはならない。また、恐れてはならない。もし、これに随って仏道修行を止めれば悪道に向かってしまう。また、魔が起こることを恐れて修行に励まなければ、正法を修得することが妨げられる』等とある」と日蓮大聖人は仰せです。
三障四魔は必ず競い起こってくる。しかし、「随っても、恐れても」ならないことが説かれているのです。
それでは順に説明しましょう。
まず、「三障」ですが、「障」は「さわり」という意味です。
信心の支障となる働きに「煩悩障」「業障」「報障」の三種類があるという事です。
「煩悩障」の「煩悩」とは、心身を煩わせ悩ませる心の働きです。
具体的には、貪り・瞋り・癡の生命です。ついついお題目を怠ることも、煩悩障に信心を妨げられたケースの一つでしょう。
次に「業障」の「業」とは「行い」です。自身の生命に刻まれている悪業(=悪い行いの集積)が私達の信仰や仏道修行を妨げるものです。
大聖人は具体的に、夫あるいは妻、そして子などの身近な存在が信心を妨げることを言われています。
最後の「報障」ですが、「報」とは「報い」のことです。正しい教えを非難するなどの行為の「報い」として起こる障りです。具体的には、会社の上司や権力者、あるいは父母という、自分が従わなくてはならない存在によって起こる障りです。
それでは、「四魔」を説明しましょう。
「四魔」の「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者」「奪功徳者」と訳されます。仏法を実践しようとする人の心を悩まし、破壊しようとする働きの事です。
具体的には「陰魔」「煩悩魔」「死魔」「天子魔」の四つをいいます。
「陰魔」とは、心身の働き(=五陰)が不調になり、仏道修行が妨げられること。
「煩悩魔」とは、煩悩によって信心が破壊される事。
そして、「死魔」は、修行者の生命を奪って、修行を妨げる働きの事です。
仏道修行者の死を見て、信心に疑いを起こすことも「死魔」の働きによるものです。
最後の「天子魔」は、生命の根本的な迷いから起こる、最も本源的な魔です。これは「他化自在天子魔」の略で、人を思いのままに操ろうとする「第六天の魔王」の働きです。
権力など、ありとあらゆる力を使って信心に圧迫を加えてきます。
「魔」の中の将軍です。
第六天の魔王が、根源となって、一切の魔を自由自在に働かせます。
このことは次に、詳しく学びましょう。
色々な「障魔」に対抗するには、前へ前へ進み続ける「信心」が大切です。
仏法は、仏と障魔の絶え間ない闘争です。ゆえに、大聖人は「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」と仰せなのです。
三障四魔が出現した時こそ、成仏への大きな前進の時であると確信する賢者の信心が大切です
障魔を障魔と見破り、真正面から信心で戦い、乗り越えていく実践によって成仏の境涯を開いていくことができるのです。
日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」と仰せです。
人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。いかなる試練があろうとも、汝自身の戦場から一歩も退いてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つ事だ、と。
【三障四魔】
障魔と戦い続ける賢者の生き方を


