(ゆっくり教学)37.「勝つ」という気持ちが大事❣️ 【三障四魔 】障魔と戦い続ける 賢者の生き方を【教学】

教学

三障四魔
障魔と戦い続ける賢者の生き方を

三障四魔さんしょうしま」とは、三つの「さわり」と四つの「」という事です。

前回、学んだように、仏道修行の過程かていで、自身の内面からも、外からも、そのさまたげとなる働きが起こってくるのです。

「この仏法の法門を説くと、必ず魔が現れるのである。魔が起こらなければ、実践している法が正法であるとはいえない。天台大師てんだいだいしの『摩訶止観まかしかん』の第五巻には『仏法の実践と理解にはげんでいくならば、必ず三障四魔がさまざまな姿でまぎらわしく入り乱れて競い起こる。(中略)しかし、それらに決してしたがってはならない。また、恐れてはならない。もし、これに随って仏道修行をめれば悪道に向かってしまう。また、魔が起こることを恐れて修行にはげまなければ、正法を修得しゅうとくすることがさまたげられる』等とある」と日蓮大聖人は仰せです

三障四魔は必ず競い起こってくる。しかし、「したがっても、恐れても」ならないことが説かれているのです。

それでは順に説明しましょう。

まず、「三障さんしょう」ですが、「しょう」は「さわり」という意味です。

信心の支障ししょうとなる働きに「煩悩障ぼんのうしょう」「業障ごうしょう」「報障ほうしょう」の三種類があるという事です。

「煩悩障」の「煩悩」とは、心身をわずらわせ悩ませる心の働きです。

具体的には、むさぼり・いかり・おろかの生命です。ついついお題目をおこたることも、煩悩障に信心をさまたげられたケースの一つでしょう。

次に「業障ごうしょう」の「ごう」とは「おこない」です。自身の生命にきざまれている悪業あくごう(=悪い行いの集積しゅうせき)が私達の信仰や仏道修行を妨げるものです。

大聖人は具体的に、夫あるいは妻、そして子などの身近な存在が信心を妨げることを言われています。

最後の「報障ほうしょう」ですが、「ほう」とは「むくい」のことです。正しい教えを非難するなどの行為の「報い」として起こるさわりです。具体的には、会社の上司や権力者、あるいは父母という、自分がしたがわなくてはならない存在によって起こるさわりです。

それでは、「四魔しま」を説明しましょう。

「四魔」の「魔」とは、古代インドの言葉「マーラ」を漢字で表したもので、「奪命者だつみょうしゃ」「奪功徳者だつくどくしゃ」とやくされます。仏法を実践しようとする人の心を悩まし、破壊はかいしようとする働きの事です。
具体的には「
陰魔おんま」「煩悩魔ぼんのうま」「死魔しま」「天子魔てんしま」の四つをいいます。

陰魔おんま」とは、心身しんしんの働き(=五陰ごおん)が不調になり、仏道修行が妨げられること。

煩悩魔ぼんのうま」とは、煩悩によって信心が破壊はかいされる事。

そして、「死魔しま」は、修行者の生命をうばって、修行をさまたげる働きの事です。

仏道修行者の死を見て、信心にうたがいを起こすことも「死魔しま」の働きによるものです。

最後の「天子魔てんしま」は、生命の根本的な迷いから起こる、最も本源的ほんげんてきな魔です。これは「他化自在天子魔たけじざいてんしま」のりゃくで、人を思いのままにあやつろうとする「第六天だいろくてん魔王まおう」の働きです。

権力など、ありとあらゆる力を使って信心に圧迫あっぱくくわえてきます。

「魔」の中の将軍です。

第六天の魔王が、根源となって、一切の魔を自由自在に働かせます。

このことは次に、詳しく学びましょう。

色々な「障魔」に対抗するには、前へ前へ進み続ける「信心」が大切です。

仏法は、仏と障魔のえ間ない闘争です。ゆえに、大聖人は「必ず三障四魔ともうさわりいできたれば賢者けんじゃはよろこび愚者ぐしゃ退しりぞく」と仰せなのです。

三障四魔が出現した時こそ、成仏への大きな前進の時であると確信する賢者の信心が大切です

障魔を障魔と見破り、真正面から信心で戦い、乗り越えていく実践によって成仏の境涯を開いていくことができるのです。

日蓮大聖人は、「夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違そういする事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申すさわりいできたれば賢者はよろこび愚者は退しりぞく」と仰せです。

人生には、大きく変わる時が必ずある。ここが正念場という、宿命転換、人間革命の勝負時がある。いかなる試練があろうとも、なんじ自身の戦場から一歩も退しりぞいてはならない。その時を逃さず、断じて戦い、勝つ事だ、と。

三障四魔
障魔と戦い続ける賢者の生き方を

38.強い思いが、大事な一歩となる❣️【第六天の魔王】 広布は仏と魔との連続闘争 【教学】

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