(ゆっくり教学)42.心が軽くなる瞬間❣️大良薬とは、妙法のこと。万人の救済が仏の願いです。【教学】

教学

【仏の未来記】
仏法は末法悪世の人々を救う大良薬

万人の幸福のために、根本の悪を断ち切り、根本の善を開いていく妙法を弘め続けて来た仏。

仏法を弘めることの素晴らしさに感動致します。

末法の広宣流布は、人々の迷いがより深くなっていく時代に善を弘めるわけですから、簡単に進むものではありません。

それどころか、迷いと不信をはらえない人々から善の勢力への反発も強くなります。

「日蓮大聖人の御生涯ごしょうがい」で以前にご紹介致しましたが。

日蓮大聖人にも立宗宣言の直後から、難が押し寄せてきました

主な大難を再確認の意味でげてみましょう。

文応ぶんおう元年1260年27日、「立正安国論りっしょうあんこくろん」提出をきっかけとして、念仏者たちが大聖人を亡き者にしょうと、松葉ヶ谷まつばがやつ草庵そうあんを襲撃(松葉ヶ谷の法難ほうなん

弘長こうちょう元年1261年12日、幕府は大聖人を捕らえて伊豆の伊東に流罪(伊豆流罪いずるざい

文永ぶんえい元年1264年1111日、安房国東条郷あわのくにとうじょうのごう地頭じとう東条景信とうじょうかげのぶの軍勢に襲撃され、ひたいに傷をい、左の手を折られる(小松原こまつばらの法難)

文永ぶんえい8年1271年12日、鎌倉幕府の権力者・平左衛門尉へいのさえもんのじょうが武装した兵士をひきいて、松葉ヶ谷の草庵そうあんで大聖人を謀反人むほんにんのようなあつかいで捕縛ほばく。深夜にたつの口の刑場で斬首刑ざんしゅけい執行しっこうはかる(竜の口の法難)

同年1010日、処刑に失敗した幕府が、大聖人を死罪に等しい佐渡への流罪にしょす(佐渡流罪)

なんまた難の連続です。

末法にあって、正法の広宣流布に生きる人には、それだけの激しい難がおし寄せてきます。

実は、そのことは法華経に明確めいかくに説かれているのです。

末法は仏教を説くがわが混乱し、釈尊の仏法が人々を救済する力を失って、何が正法なのかが分からなくなる時代です。

法華経では、そうした時代にあって正法を弘めることがどれだけ困難かを、あらかじめ「予告」しているのです。

その意味で、法華経は、末法の時代にこそあらゆる障魔しょうまを越えて全世界に広宣流布していくべきことをしるした「仏の未来記」なのです。

三類の強敵ごうてきも法華経に、説かれています。少しおさらいしておきましょう。

三類さんるいとは、法華経を実践し、弘める人を、強力に迫害はくがいしてくる三種類の敵人てきじんでした(俗衆増上慢ぞくしゅうぞうじょうまん道門どうもん増上慢、僭聖せんしょう増上慢)増上慢とは、いまだ悟っていないのに悟りを得た等の種々しゅじゅの慢心を起こし、他の人よりも勝れていると思う人の事を言います。

俗衆ぞくしゅう増上慢」の「俗衆ぞくしゅう」とは、仏法に無知な人々の事です。法華経の実践者の悪口を言い、そして、ののしり、更には武器や棒で危害を加える事もあると説かれています。

道門どうもん増上慢」ですが、「道門どうもん」の「道」は「仏道」にあたります。つまり、僧の事です。よこしまな悪智恵わるぢえ(=邪智じゃち)に支配され、心がねじ曲がり、仏法をきわめていないのに自分の考えに執着しゅうちゃくし、自分が偉いと思っています。そして、妙法の実践者の邪魔をします。

僭聖せんしょう増上慢」ですが。「僭聖せんしょう」の「せん」とは、何ら実体がないのに、そうであると見せかけること。「しょう」とは、悟った人のことです。つまり「僭聖」とは、外面は聖者の様によそおって、人々から尊敬そんけいを集めますが、内面は悪心、貪欲とんよくに満ちていて、名誉や利益りえきを追い求めている高僧です。

そのほか、さまざまな迫害に直面すると法華経は繰り返し教えています。

法華経は、その困難極まる時代にあっても、民衆救済を最大の目的として、仏の正法を説き弘めよと呼びかけているのです。

「万人の救済」が仏の願いです

したがって、闇が最も深い末法の民衆の救済こそが、法華経の最大の関心事かんしんじです。

まさに、法華経は、そうした末法の人々のために説かれた経典ともいえます。

法華経の内容を見ても、釈尊の時代の救済よりも、仏の入滅後にゅうめつご、とりわけ末法の救済に重点が置かれていることが分かります

特に、末法において大良薬だいりょうやくともいうべき法を流布する使命をたくす「儀式」が全体の主題しゅだい(テーマ)となっています。

あらゆる時代、あらゆる場所から総結集そうけっしゅうした仏や菩薩に、末法の広宣流布をたくしていくのです

その儀式の舞台が「虚空会こくうえ」です。

虚空とは「空中」、会とは「会座えざ」すなわち説法の場です。

虚空会のお話は、以前【法華経】のブログに詳しく記載されています。

また是非ゆっくりとご覧ください。

本ブログの目次よりご覧になれます。

その虚空会で未来の広布を託されるために呼ばれたのが地涌の菩薩です。

一切衆生を成仏させる法を説けば、必ず難にう。

釈尊も大難の連続であった。

しかも法華経には、末法にこの法華経を弘めれば必ず釈尊の難を超える大難が競うことが説かれている。

猶多怨嫉ゆたおんしつ況滅度後きょうめつどご怨嫉おんしつ(反発し敵対すること)釈尊在世の時であっても法華経を信じる人が少なかったのに、釈尊亡き後は更に法華経を広める事は困難である。

六難九易ろくなんくいおよそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだやさしい六難(法華経を六の方法で学ぶ事)九易(とてつもなく難しい九つの項目)

「三類の強敵ごうてき」(我々の平和を邪魔する者達)俗衆ぞくしゅう増上慢、道門どうもん増上慢、僭聖せんしょう増上慢

多怨難信たおんなんしん」(仏をうらみ迫害して信じようとしない事)

そして、これらの大難を耐え忍び、民衆の中で弘教ぐきょうに励む行者こそ、日蓮大聖人「法華経の心」の体現者たいげんしゃなのです。

まさに、忍難にんなんは慈悲のあらわれにほかならない。

【仏の未来記】
仏法は末法悪世の人々を救う大良薬

43. 菩薩とは、あなたの事だったのです❣️実は、釈尊と久遠に、約束を交わしていた。【教学】

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