【教学と法華経】9.だれもが等しく、成仏ができる❣️それを伝えるのが仏の使命。

教学と法華経

【諸法実相】
「だれもが平等に成仏できる」裏付け

【法華経の法理】

「万人の成仏」という‘‘真理,,を明かし、そのための‘‘実践,,を未来へ託しているのが法華経です。

そして、この法華経の真髄を説き明かしたのが日蓮大聖人の仏法です。

ここから、法華経の主要法理を学ぶことで、これまで確認してきた「人間主義の仏法」への理解を深めていきます。

「だれもが皆、仏である」。このことが法華経の結論です。

法華経以外の経典では成仏できないとされていた人が、法華経が説かれて成仏できることが明らかになった。

素晴らしいことです。

法華経にしか明かされていない「万人の成仏」という考え方は、「諸法実相」という教えの中に示されています。

その言葉は私が朝晩、読誦している方便品第二の経文にあります。

方便品で、いよいよ釈尊の説法が始まります。

まず、釈尊が強調するのは、仏の智慧がはなはだ深く、かつ容易には理解しがたい、ということです。

しかし、仏は万人に仏の境涯を開かせるために、言葉で言い表せない「真理」を何とかして人々に伝えようとします。

そこで、釈尊が智慧第一の弟子・舎利弗に教えた言葉が「諸法実相」です。

ただ仏と仏とだけが究め尽くした仏の悟りを表現したものです。

まず「諸法」とは、何を意味しているのでしょうか。

「諸法」とは、私たちの生きる現実世界において、さまざまな姿をとってあらわれている‘‘あらゆる現象,,‘‘あらゆる事物,,です。

また「実相」とは、‘‘究極の真理,,という意味です。

日蓮大聖人は「諸法実相」の意味について、「地獄界から仏界までの十界の衆生とその環境世界は、すべて妙法蓮華経の姿である、ということである」と仰せです。

「地獄界から仏界までの十界の衆生とその環境世界」が‘‘あらゆる現象,,(諸法)、「妙法蓮華経」が‘‘究極の真理,,(実相)にあたります。

つまり‘‘十界の衆生、すなわち「生きとし生けるもの」が織り成す具体的な現実は、ことごとく妙法蓮華経にほかならない,,と、「諸法実相」について示されているのです。

私たちの立場でいえば、万人が等しく、仏と同じように仏界の生命を顕しうる、ということになります。

すなわち、‘‘だれもが成仏できる,,ということです。

結局、「諸法実相」が明かされて、‘‘だれもが等しく成仏できる,,ことが裏付けられ、明らかになったのです。

それは同時に、私たちの成仏の‘‘考え方,,を一八〇度転換するものです。

私たちから離れたどこか遠くに‘‘真理,,があるとか、現象の奥に‘‘真理,,が秘められているというように考えれば、結局、「仏」といっても、人間からかけ離れた架空の存在になっていかざるを得ません。

その結果、いわば、仏と「人間」の‘‘距離,,は、ますます広がる一方です。

最終的には、人間は、ただただ偉大な仏によって救いを待つだけの存在となってしまいます。

これに対して、‘‘だれもが等しく仏の生命を具え、その生命を開き顕せば、ただちに成仏できる,,

これが「諸法実相」から導かれる、真実の‘‘成仏の考え方,,です。

あくまでも、移ろい変わり続ける人間そのものに即して、そこにこそ‘‘不変の真理,,を見いだすのです。

‘‘諸法がそのまま実相,,というのは、あくまでも仏が見た「真理」です。

私たちが現実の諸法に即して、「実相」を顕していくために、仏道修行が必要となるのです。

いわば、どこでも‘‘そのままの自分自身,,の姿で、しかも、自分自身の内面から仏界の生命を光り輝かせていく。

それが「諸法実相」を実現していくための‘‘実践,,です。

「大聖人の仏法はこの現実を『諸法実相』と光らせていくことを目指すのです。人生・社会という諸法を事実の上で妙法の当体(実相)と輝かせていく『変革』と『向上』の哲理なのです」

そして、詳しくは別の機会に学びますが、大聖人が顕された御本尊は、諸法実相の御本尊です。

御本尊根本に、仏界を涌現しながら、悩み苦しみの絶えない「現実」を乗り越えようとする生き方こそ、大聖人の仏法における「諸法実相」の実践となります。

【諸法実相】
「だれもが平等に成仏できる」裏付け

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