法華経【第五章】薬草喩品・完結
法華経と共に
さっそくですが、
前回の続きから始めましょう。
大聖人の御書を拝しましても、弟子門下の個性、性格を、実に的確につかんだうえで、様々なご指南をされている事がうかがえます。
四条金吾が短気な性格であったという事を私達が知っているのも、御書のおかげです。
大聖人がどれほど弟子門下の事を思っておられたか、その証左です。
四条金吾に対しては、外では酒を控える様に、とか、女性にどんな失敗があっても叱ってはいけない、まして争ってはいけない、など、親が子供を諭す様に、細やかな心配りをされています。
その一方で、例えば、池上兄弟の兄・宗仲が父親から二度目の勘当にあった時、大聖人は弟・宗長の事を心配されながらも、今度は、殿は必ず退転してしまうだろうと思う。
退転する事を、とやかく言うつもりはまったくないが、ただ地獄に行って日蓮をうらんではならない、という様に、一見、突き放した言い方をされています。
こうした言い方は、相手の事によほど通じて、その心を掴んでいないと、とうてい出来るものではない。大聖人は、人生最大の岐路に立たされた宗長の心の葛藤を知り尽くされていただけでは無い。その性格までも、手に取る様に知悉されていたのでしょう。知悉=知り尽くす。
特に、遺族に対する励ましなどは、いくつか例が有りますが、大聖人はお子さんがおられなかったのに、子供に先立たれた親の心情というものを、あまりにも深くつかんでおられるのに驚き、感動した事が有ります。
本当に偉大な大聖人様です。一人一人の「現実」を全て受け止め、同苦してくださっているのです。決まりきった答えを押しつける様な、観念的指導では絶対にない。
故に、ある場合は、他の人に対して言われた事とは正反対に見える事も、あえて言われている。病弱で苦しんでいたが医者にかかろうとしなかった富木常忍の夫人には、「智者なれども夭死あれば生犬に劣る」と長寿の大切さを説かれ、治療をうながされた。
しかし、鎌倉武士であり、「名は惜しむが命は惜しまない」気風の四条金吾に対しては、長寿よりも、仏法と社会の誉れが大切で有ると強調されています。
「百二十まで持ちて名を・腐して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と仰せです。
そう。どちらも弟子を慈しむお心から出た、慈悲即智慧のご指導です。どちらも真実です。これが薬草喩品の心です。
四条金吾に対しては、短気な性格を自覚して一日一日を賢明に振る舞いなさい、というお気持ちも有ったでしょう。そうで無ければ、金吾は命さえ危うい状況だったのです。
御書を子細に拝すると、大聖人のお振る舞いにこそ法華経の人間主義が躍動している事に感動します。法華経と符合するのは、大難を忍ばれる法華経の行者としてのお振る舞いだけでは無いのです。
大聖人は、民衆を苦しめる権力者たちや、権力と癒着する宗教者たちに対しては、烈火のごとく怒り、厳しく諫められた。
従来、それをもって、大聖人の仏法は非寛容だとか、排他的であると言われて来たが、あまりにも偏った見方です。
民衆に対する慈愛のご指導にも、権力者への厳しい諫言にも、生きた人間主義が貫かれているのです。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」
通解、一切衆生の種々、様々な一切の苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。と断言された大聖人の広大なるご境涯、その「最高の人間性」を、全世界に伝えて行きたいものです。
薬草喩品の譬えでは、仏の慈悲の大雲は三千大千世界、つまり全宇宙を覆ったと説かれています。
行き詰まった現代世界を開き、蘇生させる為に必要なのは「宇宙的視野」であると思います。大宇宙と一体のものとして人間をとらえる見方です。
大宇宙と一体で有れば、自然、地球とも一体である事は言うまでもなく。そういう人間観の元に、社会も国家も民族もとらえ直して行くのではないでしょうか。
心の窓を閉ざされていては、大きな未来は見えない。窓を開け放つ事です。そうすれば、行き詰まりは無いのです。全ての人間は、全宇宙と一体です。全宇宙のあらゆる営みが、一人の人間の独自性を成り立たせている。
言い換えれば、一人一人の人間は、「大宇宙」を独自の仕方で映しだす「小宇宙」です。「個人」は本来、「全人」なのです。
だから、一人がかけがえのない存在なのです。そういう生命の秘密を知る究極の智慧が、仏の一切種智であり、平等大慧です。どの人も、どの生命も、かけがえのない存在として平等と見るのです。平等大慧=三乗は方便で、一乗の法だけが真実であると説く仏の智慧、一仏乗。
この法華経の人間主義こそ、「次の千年」に必要な「宇宙的ヒューマニズム」であるのでは無いでしょうか。
タゴールは謳っています。
昼となく夜となく、私の血管を流れる同じ生命の流れが、世界を貫いて流れ、リズミカルに鼓動をうちながら、躍動している。
その同じ生命が、大地の塵の中を駆け巡り、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となって砕ける。
その同じ生命が、生と死の海の揺籠の中で、潮の満ち干につれて、揺られている。
この生命の世界に触れると、私の手足は輝きわたるかに思われる。
そして、今この刹那にも、幾世代の生命の鼓動が、私の血の中に脈打っているという思いから、私の誇りは湧き起こる」と。
自身の命に、宇宙の根源のリズムを鼓動させながら、にぎやかに、楽しく前進また前進してまいりましょう。
法華経【第五章】薬草喩品・完結


