(法華経と共に)[12]「個人指導」が絶妙。さすがです❣️タゴールは謳っています。法華経【第五章】5.薬草喩品

法華経

法華経【第五章】薬草喩品やくそうゆほん・完結

法華経と共に

さっそくですが、

前回の続きから始めましょう。

大聖人の御書を拝しましても、弟子門下の個性、性格を、実に的確につかんだうえで、様々なご指南しなんをされている事がうかがえます。

四条金吾しじょうきんごが短気な性格であったという事を私達が知っているのも、御書のおかげです。

大聖人がどれほど弟子門下の事を思っておられたか、その証左しょうさです。

四条金吾に対しては、外では酒を控える様に、とか、女性にどんな失敗があってもしかってはいけない、ましてあらそってはいけない、など、親が子供をさとす様に、細やかな心配こころくばりをされています。

その一方で、例えば、池上兄弟の兄・宗仲むねなかが父親から二度目の勘当かんどうにあった時、大聖人は弟・宗長むねながの事を心配されながらも、今度は、殿とのは必ず退転してしまうだろうと思う。

退転する事を、とやかく言うつもりはまったくないが、ただ地獄に行って日蓮をうらんではならない、という様に、一見、突き放した言い方をされています。

こうした言い方は、相手の事によほどつうじて、その心を掴んでいないと、とうてい出来るものではない。大聖人は、人生最大の岐路きろに立たされた宗長むねながの心の葛藤かつとうを知りくされていただけでは無い。その性格までも、手に取る様に知悉ちしつされていたのでしょう。知悉=知り尽くす。

特に、遺族に対する励ましなどは、いくつか例が有りますが、大聖人はお子さんがおられなかったのに、子供に先立たれた親の心情というものを、あまりにも深くつかんでおられるのに驚き、感動した事が有ります。

本当に偉大な大聖人様です。一人一人の「現実」を全て受け止め、同苦どうくしてくださっているのです。決まりきった答えを押しつける様な、観念的指導かんねんてきしどうでは絶対にない。

故に、ある場合は、他の人に対して言われた事とは正反対せいはんたいに見える事も、あえて言われている。病弱びょうじゃくで苦しんでいたが医者にかかろうとしなかった富木常忍ときじょうにんの夫人には、「智者なれども夭死わかじにあれば生犬いけるいぬおとる」と長寿の大切さを説かれ、治療をうながされた。

しかし、鎌倉武士であり、「名はしむが命は惜しまない」気風きふう四条金吾しじょうきんごに対しては、長寿よりも、仏法と社会のほまれが大切で有ると強調されています。

「百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と仰せです。

そう。どちらも弟子をいつくしむお心から出た、慈悲即智慧じひそくちえのご指導です。どちらも真実です。これが薬草喩品やくそうゆほんの心です。

四条金吾に対しては、短気な性格を自覚して一日一日を賢明けんめいに振る舞いなさい、というお気持ちも有ったでしょう。そうで無ければ、金吾は命さえあやうい状況だったのです。

御書を子細しさいに拝すると、大聖人のお振る舞いにこそ法華経の人間主義が躍動やくどうしている事に感動します。法華経と符合ふごうするのは、大難をしのばれる法華経の行者としてのお振る舞いだけでは無いのです。

大聖人は、民衆を苦しめる権力者たちや、権力と癒着ゆちゃくする宗教者たちに対しては、烈火れっかのごとく怒り、きびしくいさめられた。

従来じゅうらい、それをもって、大聖人の仏法は非寛容ひかんようだとか、排他的はいたてきであると言われて来たが、あまりにもかたよった見方です。

民衆に対する慈愛のご指導にも、権力者への厳しい諫言かんげんにも、生きた人間主義がつらぬかれているのです。

「一切衆生のを受くるはことごとれ日蓮一人の苦なるべし」

通解一切衆生の種々、様々な一切の苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である。と断言された大聖人の広大なるご境涯、その「最高の人間性」を、全世界に伝えて行きたいものです。

薬草喩品の譬えでは、仏の慈悲の大雲だいうんは三千大千世界、つまり全宇宙をおおったと説かれています。

行き詰まった現代世界を開き、蘇生そせいさせる為に必要なのは「宇宙的視野」であると思います。大宇宙と一体のものとして人間をとらえる見方です。

大宇宙と一体で有れば、自然、地球とも一体である事は言うまでもなく。そういう人間観の元に、社会も国家も民族もとらえ直して行くのではないでしょうか。

心の窓を閉ざされていては、大きな未来は見えない。窓を開けはなつ事です。そうすれば、行き詰まりは無いのです。全ての人間は、全宇宙と一体です。全宇宙のあらゆるいとなみが、一人の人間の独自性を成り立たせている。

言い換えれば、一人一人の人間は、「大宇宙」を独自の仕方やりかたで映しだす「小宇宙」です。「個人」は本来、「全人」なのです。

だから、一人がかけがえのない存在なのです。そういう生命の秘密を知る究極の智慧が、仏の一切種智いっさいしゅちであり、平等大慧びょうどうだいえです。どの人も、どの生命も、かけがえのない存在として平等と見るのです。平等大慧=三乗は方便で、一乗の法だけが真実であると説く仏の智慧、一仏乗。

この法華経の人間主義こそ、「次の千年」に必要な「宇宙的ヒューマニズム」であるのでは無いでしょうか。

タゴールはうたっています。

昼となく夜となく、私の血管を流れる同じ生命いのちの流れが、世界をつらぬいて流れ、リズミカルに鼓動をうちながら、躍動やくどうしている。

その同じ生命が、大地のちりの中を駆け巡り、無数の草の葉のなかによろこびとなってで、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。

その同じ生命が、生と死の海の揺籠ゆりかごの中で、潮の満ちにつれて、揺られている。

この生命の世界に触れると、私の手足は輝きわたるかに思われる。

そして、今この刹那せつなにも、幾世代いくせだいの生命の鼓動こどうが、私の血の中に脈打っているという思いから、私のほこりはき起こる」と。

自身の命に、宇宙の根源のリズムを鼓動させながら、にぎやかに、楽しく前進また前進してまいりましょう。

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