(法華経と共に)[15]弟子の個性は、大歓喜に変わる。師匠の愛は、絶対である❣️法華経【第六章】3.授記品

法華経

法華経【第六章】授記品じゅきほんその3

四大声聞への授記

法華経と共に

前回は、迦葉かしょうの「授記じゅき」までの話で終わりました。

残り三人の「こう」すなわち成仏する時代の名前、「こく」すなわち成仏する国土の名前、「名号みょうごう」すなわち仏としての名前などが具体的に示されます。

その続きを始めましょう。

次の、須菩提しゅぼだいへの授記では、
「宝」という言葉がキーワードになっています。

国の名前の「宝生」は、文字通り、宝を生みだすものという意味です。

また劫の名前の「有宝」は、宝の輝きという意味です。

仏の名前である「名相」は、名声の様相がある者という意味です。

須菩提は、有名な「祇園精舎ぎおんしょうじゃ」を供養した須達すだった長者のおいです。

祇園精舎の供養のさいに、釈尊に出会って弟子になったとされます。

また、出家してからも、つねに布施を実践し、無諍第一むじょうだいいち(心に争いがない境地の人の第一人者)、被供養第一ひくようだいいち(供養を受けるにふさわしい人の第一者)とされています。

布施の実践に優れていたことが、「宝」のイメージにつながっているのかもしれません。

しかし、より根本的には、法華経で真実の「智慧の宝」「生命の宝」を得たことを象徴しょうちょうしているのでしょう。

信解品しんげほん(第四章)では、四大声聞が、自身の生命に仏界がそなわっているという発見はっけんを「無上の宝聚ほうじゅを求めずして、おのずから得たり」と喜んでいます。

それと関連するかもしれませんが、須菩提は、信解品の冒頭で「慧命須菩提えみょうしゅぼだい」と呼ばれています。

「慧命」とは、「智慧を命とする人」という意味で、仏の別名でもある。

また「生命力ある人」「長生きの人」という意味もあります。

須菩提は智慧に優れていました

釈尊の弟子のなかで、解空第一げくうだいいちくうの法理を理解することの第一人者)とも言われます。

空を説いた多くの般若経典で、釈尊の説法の相手となっています。

とくに「大品般若経だいぽんはんにゃきょう」等では、菩薩に対して仏の完全な智慧(般若波羅蜜はんにゃはらみつ)を説くように命じられているほどです。

しかし須菩提自身は、まだ二乗の智慧にとどまっていた。

人には説いたけれども、自分が仏の完全な智慧を求めようとはしていなかった。

信解品では、そのことを反省している。

そして法華経を聞いて、仏の智慧を得る道、つまり成仏の道に入ることができた。

「無上の宝」を得ることができたのです。

それで、仏界という生命の内なる「宝」を輝かせて、「名声高い仏」に成れると授記されたのではないでしょうか。

次に、迦旃延かせんねんへの授記では、こうこくについてはしるされず、「閻浮那提金光えんぶなだいこんこう」という名号みょうごうだけがあります。

これは閻浮河えんぶがわかられた砂金さきんかがやきという意味です。

閻浮河えんぶがわ」とは、雪山せつせんの北側にあるとされた理想郷りそうきょう閻浮えんぶの林を流れる河で、そこでれた砂金は格別に美しく輝くとされていました。

迦旃延かせんねんの肌は、金色に輝いて美しかったと伝えられています。

おそらくは、このことをふまえた名前だと思います。

慈悲と智慧によって、黄金のごとく輝く仏の人格じんかくしめす名前でしょう。

こうして見ていくと、弟子たちの個性をふまえて命名されていることが分かってきます。

しかも、個性が仏の徳性とくせいとして昇華しょうかされています。

最後は、目連です。「多摩羅跋栴檀香たまらばつせんだんこう」という仏の名前は、「タマーラ樹の葉と栴檀せんだんの木の香」という意味です。

どちらも粉にして香料こうりょうとされ、体に振りかけたり塗ったりしました。

また、祭火まつりびにくべて使うこともあります。

喜満きまん」というこうの名前は、安らぎ喜びに満ちあふれた、との意味です。

また、「意楽いらく」という国の名前は、心を楽しませるところを意味します。

この劫・国・名号みょうごうは、目連が神通じんつう第一とされることに関係があるようです。

彼には、数多くの神通のエピソードがありますが、そのなかで、しばしば壁画へきがなどに描かれている話があります。

それは、梵天ぼんてん敬服けいふくさせ、釈尊に帰依きえさせる話です。

ある時、目連は、天高てんたか梵天ぼんてんたちの住む所まで上がり、火炎かえんの中で禅定ぜんじょうしている姿をしめす。

そのまばゆい光は、世界の創造主とされていた梵天も経験したことがないほど明るかった。

目連は「自分は釈尊の弟子だ」と名乗る。

梵天は配下はいかを使いに出して、「あなたのような偉大な神通じんつうをもった人が釈尊の弟子には多いのか」と問う。

「多い」との答えを使いから聞いた梵天は、大歓喜だいかんきを起こし、釈尊への帰依きえちかいます。

娑婆世界のあるじである梵天が、大歓喜につつまれたのです。

その喜びは、全世界に広がり、満ちたにちがいありません。

弟子が自身の姿を見せることによって、師匠の偉大さを教える

これほど師匠にとっても弟子にとっても、ほまれあることはないでしょう。

祭火まつりびにくべる香料こうりょうの名」を目連が成仏した時の仏名ぶつみょうとしているのは、このエピソードでの火炎かえんのイメージがふまえられているのではないでしょうか。

また、その輝きが全世界を喜ばしたので「喜満きまん」「意楽いらく」の劫名こうめい国名こくめいが付けられたのだと推測すいそくできます。

大事なことは、自分の個性や人生経験を、すべて仏の徳性として輝かしていけるということです。

信心しているかぎり、むだなものは何ひとつない。

これが法華経の大功徳です。

いずれにしても、その人にぴったりの、すばらしい劫・国・名号を聞いて、本人も周囲の人も、「本当に自分が成仏できるのだ」「あの人が立派な仏になれるのだ」と実感できたのではないでしょうか。

授記を聞いた人々に歓喜の輪が広がっていったのも、そのためでしょう。

あの人もこの人も尊い、そしてまた自分もと、皆が平等に成長していく、それが仏法者のあり方だと思います。

法華経の世界が、そうですね。

すべての人が成仏できるのだ。

その無上の道を、自分も一緒に歩んでいこう、仏が一仏乗を明かすことによって、そういう世界が現出したのだと思います。

「一仏乗」とは、成仏という目的地へ向かって「間違いなき軌道を行く乗り物」に譬えられる

仏の慈悲を原動力とし、智慧を眼として走るから、正しい軌道を行けるのです。

成仏への正しい軌道に入ることが、法華経の一仏乗を「信解」する功徳です。

それを仏が保証するのが「授記」です。

その授記が、さらに人々の歓喜を生み、確信を生むのです。

そうやって、成仏への無上の軌道を歩む人の輪が広がっていくのが、法華経の世界なのです。

法華経【第六章】授記品じゅきほんその3

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