【上野殿御返事】
【大願に生きる】
「大いなる理想」への闘争
御書
願くば我が弟子等・大願ををこせ
通解
願わくは、わが弟子たちよ、(成仏への)大願を起こしなさい。
弘安2年(1279年)11月6日、日蓮大聖人が58歳の時、駿河国(現在の静岡県中央部)富士郡上野郷の地頭であった21歳の南条時光に与えられた御消息である。別名「竜門御書」。
追伸で「此れはあつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり」と仰せのように、「熱原の法難」に際して、少しもひるまず同志を護り抜いた門下の信心を讃えられた。
「熱原の法難」は、神四郎、弥五郎、弥六郎はじめ、無名の農民信徒が、強大な権力による弾圧に対し、命を懸けて抵抗した人権闘争の先駆の歴史である。
大聖人は「大願とは法華経弘通なり」と宣言された。自他共の成仏を説いた妙法を弘める「広宣流布」こそ、大聖人門下の大願である。
この「広宣流布の大願」のために戦い続けている人々は、全世界には沢山います。
本抄で大聖人は、「をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ」と仰せになられた。
同じ一生ならば、妙法のため、広宣流布のために生き抜く。
人間、『何のため』に命を賭けるのか。『異性のため』『財産のため』『栄誉のため』それが人生の目的ならば、それはそれだけの刹那的な次元の人生となってしまう。
私たちの生命は、露や塵のように小さいともいえる。しかし、大海に入った露は大海と一体になる。大地に埋めた塵は大地と一体になる。その大地が草木を茂らせ、花を咲かせ、多くの実を結ぶ。
それと同様に、私たちが宇宙の根本法である。『妙法』に命を帰していく時、自身の小さな境涯もまた、宇宙大へと壮大していく。『小我』が『大我』となる。
広宣流布という「大いなる理想」に挑戦するなかで、私たちは自身の狭い視野や小さい殻を打ち破ることができる。
大願を立て、大願のために戦えば、それを妨げる大難も襲ってくる。その障魔を乗り越えてこそ、成仏の境涯を開くことができるのです。
【大願に生きる】
「大いなる理想」への闘争


