【宿命転換】
生命を根源から変革する日蓮仏法
宿命転換の仏法
人生には、さまざまな苦難があるものです。永遠の生命を説く仏法は、苦難の原因を自身の過去世の行為に求めたうえで、信心の実践によって人生のマイナスをプラスに転じ、未来永遠の幸福を、今ここで成就していけることを教えています。
ここでは、仏法の根本目的である広宣流布の実践に励むなかで「宿命転換」の人生を歩めることを学びます。
これから学ぶ「宿命転換」ですが。新鮮で力強い言葉だと思いませんか。正に自身の運命を切り開いていくような「希望」と「勇気」が湧いてきますね。
「宿命転換」とは「宿業転換」ともいう場合があります。
「業」とは、もともとは「行動・行為」などを意味する言葉です。
そして「業」には、本来、善と悪の両方がありますが、仏教で問題となるのは、主として悪業のほうです。
すなわち、過去世から現在に至るまで、自身が悪業を積み重ねてきたことで、その結果、現在、悪の報いを受けているということです。
しかし、この宿命を転換できるのが、日蓮大聖人の仏法です。
日蓮大聖人は御自身の御姿のなかで、その生き方を示されています。
大聖人は、佐渡流罪という大難を経験されます。当然、大聖人は、社会的に何ら罪を犯したわけではありませんが、罪人として劣悪な環境へ流されます。これ以上のマイナスの状況はありません。
そのなかで大聖人は、御自身の受けられた難について「日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず」と仰せになりました。
難を受けているのは、御自身の「先業」のためであるといわれたのです。
過去世の罪業の結果、佐渡へ流罪されることになったということです。
大聖人御自身が、そこまで表現されることで、環境や他の人間に原因を求めるのでは決してない「根本的な宿命転換の法理」を示されているのです。
日蓮仏法では、大難は自身の罪障消滅のためのきっかけととかれます。
事実、大聖人は、この佐渡の地で末法の全人類を救うために、御自分が御本仏であることを宣言され、全民衆救済のための御本尊を御図顕されていきます。そしてあらゆる人が、「どんな逆境でも乗り越えていく力」を自分自身の中から引き出していける方途を教えられたのです。
まさに「マイナスをプラスに」の生き方を現しました。一般的に仏教というと、マイナスの罪障を消滅して、せいぜいゼロに戻すための考え方と誤解してきました。
通常の宿業論について大聖人は、譬えれば「高い山に登った者は必ず下りてこなければならない」ようなもので「過去に人の衣服や食べ物を奪ったから、今それらに飢えている」と教えられえています。
悪業が悪の報いを生む。だから、幸福になるためには、自身が積んだ悪業を全部、消滅させないといけない。これが従来の考え方でした。
大聖人は、そうした通常の因果(原因と結果)を「常の因果」と呼んでいます。
一つ一つ消し去っていかなければならないとしたら、何か気が遠くなりそうな話です。
いつになったら、すべての悪業を消滅させることができるのか、永久に終わらない感じがしますが。
そうした一般の宿業論と大聖人の仏法は違うのです。
日蓮仏法では「過去に法華経の実践者を軽んじ、尊くすぐれた経典である法華経をあざけり、あなどった」ことが一切の悪業の根源であると教えています。
つまり、妙法という生命の根源の法を信じられない不信や迷い(無明)が、一切の悪業の根源にあると捉えます。
この根本の迷いを克服できれば、個々人が一切の宿業を転換することができます。
そして、この根本の迷いを克服するのが日蓮仏法です。
対症療法ではなく、生命の「抜本的治療」をするわけです。
結論的にいえば、自身の胸中に、仏界の生命という「根本の善」を開き顕すことで、生命を根源から変革し、宿命を転換していけることを教えられたのが、日蓮大聖人の仏法です。
仏法のために受ける大難で感ずる苦しみは、永劫の地獄の苦しみを直ちに消していくための小苦であり、成仏に通ずるのです。
これが大聖人が説かれる「宿命転換」の原理です。
仏意仏勅で信心をされる、全世界の人々においては、何十万、いな、何百万もの人が強い信心で苦難と戦い、自身の苦悩が「ぱっ」と消えた蘇生の体験をもっている。
御書でも大聖人が「地獄の苦しみぱつときへて」と仰せです。
宿命を転換する日蓮仏法の力強さは、一千万人が現実の人生のうえで証明してきたともいえる。
それは、お題目を唱えることで叶うのです。
【宿命転換】
生命を根源から変革する日蓮仏法


