【教学と法華経】3. 我が子を亡くした母親をいさめるには❣️釈尊の絶妙な法話が素敵です。

教学と法華経

【釈尊の生涯】
「内なる法」に万人を目覚めさせ続ける
その2

【釈尊と法華経】

ここでは、仏法の誕生、そして、「万人の幸福」という釈尊の誓願が結晶した経典「法華経」に示される法理などを順に学んでいきます。

私たちの生命に具わる無限大の可能性を開花させるのが仏法であることを確認しましょう。

今回も、その仏法の出発点となった釈尊について学びましょう。

釈尊
は、「ブッダ」とも呼ばれます。

「ブッダ」とは「(真理に)目覚めた人」の意味です。

釈尊は宇宙と生命を貫く根本の法に目覚めたので「ブッダ」と讃えられたのです。

このブッダの音を中国では漢字で「仏陀」と写し、日本語では「ほとけ」となりました。

仏法とは、仏が悟った法ですが、それにとどまるものではありません。

万人をブッダ(仏)にする法です。

つまり、釈尊が悟り、万人の胸中に秘められた「生命の法」にあらゆる人々を目覚めさせて、根本の苦悩を解決するための法です。

実は、釈尊は悟りを開いて後、その悟りを人々に説くべきかどうか、悩みます。

だれも仏法を理解できないかもしれないし、更に、かえって誤解を生み非難される恐れさえあったからです。

しかし、釈尊は、そのためらいの心を打ち破って、仏法の流布に立ち上がりました。

それは、人々を苦悩から救わずにはいられないという、やむにやまれぬ心からだったのです。

もし、釈尊が法を説く決意をしなかったら、仏教は誕生しなかったことになります。

釈尊は、当時の文化・宗教の中心地であった波羅奈国(現在のバラナシ<ベナレス>)へ赴き、郊外の鹿野苑(現在のサールナート)で、最初の説法を行います。

そこでは、かつて、ともに修行した仲間である五人の修行者が、釈尊の弟子となりました。

釈尊の根気強い説法によって、まずそのなかの一人が悟りを開きます。

仏というと、悟りすまして静かに座っている、というイメージもありますが。

「行動」を離れて仏法はありません。しかも釈尊は出家在家、老若男女を問わず、分け隔てなく仏法を語り弘めました。

これは画期的なことです。

当時のインドの思想家たちは、弟子となった人にだけ教えを説くという秘密主義をとるのが普通でした。

釈尊は、そうした閉鎖性を打ち破り、万人の幸福のために、人間の中へ飛びこんで仏法を説き始めたのです。

仏教は、本当に「開かれた宗教」だったのです。

釈尊は弟子たちにも法を説いていくよう促しました。

民衆の中で法を説き弘めていく「実践」を重んじる仏法の特色が表れています。

また、釈尊は、相手の境遇に応じながら、臨機応変に、生き生きと仏法を弘めていきます。

ある時、釈尊は、愛児を亡くし悲しみに暮れる母親に出会います。

「この子を救う薬をください」

「わかった。私がその薬をつくってあげよう。町へ行って、芥子の種をもらってきなさい。ただし、その芥子の種は死人を出したことのない家から、もらって来なければなりません」

母親は一軒一軒、訪ね歩きます。

どこの家庭も、家族を失った経験があるはずです。

母親は、どの家もこの家も同じ悲しみをもっていることを知り、自分の悲しみだけが決して特別でないことに気付いたのです。

また、釈尊の弟子のなかには、哲学的議論にふける頭でっかちな弟子もいました。

その弟子には、こう教えています。

『毒矢で射られて苦しんでいる人がいるとしよう。その時、だれが矢を射たのか、その人間はどんな人物だったか、また矢はどんな材質なのか、それが分からないうちは治療してはならないと本人が言い、そうしている間に、その人は亡くなってしまった。』

有名な「毒矢の譬え」です。

ここには、人が苦しんでいれば、まずその苦しみを取り除くことを先決とする仏法の慈悲と行動の精神が示されています。

さらに、釈尊は、侮蔑(ぶべつ)の言葉を浴びせかけるバラモンには、舌鋒鋭(ぜっぽうするど)く迫ります。

「あなたは、『賤(いや)しいやつ』と言われたが、賤しいとはどういうことですか。また、何によって、人は賤しくなると思うのか」

何も答えられなくなったバラモンに釈尊は、続けて言います。

「人間は生まれによって賤しくなるものではない。何をなすかによって、賤しくもなれば、尊くもなるのです」

このように、釈尊は自由自在に言葉を駆使し、人々の心を変え、生き方を変え、一人ひとりに対して、各人の内面の「生命の法」に目覚めさせていきました。

釈尊は、人生のどのような苦悩をも乗り越えていける勇気と希望が、いかなる人にも自らの胸中にあることを生涯、訴え続けたのです。

苦悩に翻弄される人々を救うためです。

そして、釈尊のもとには、彼を慕って大勢の弟子が集まります。

そのうち代表的な弟子は智慧第一の舎利弗をはじめとして「十大弟子」と呼ばれています。

釈尊自らが弘教するだけでなく、弟子たちも精力的に弘教を行っていくにつれ、王や有力な商人などの帰依(=仏を信ずること)を集めるようになりました。

【釈尊の生涯】
「内なる法」に万人を目覚めさせ続ける
その2

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