【釈尊の生涯】
「内なる法」に万人を目覚めさせ続ける
その1
【釈尊と法華経】
ここでは、仏法の誕生、そして、「万人の幸福」という釈尊の誓願が結晶した経典「法華経」に示される法理などを順に学んでいきます。
私たちの生命に具わる無限大の可能性を開花させるのが仏法であることを確認しましょう。
今回は、その仏法の出発点となった釈尊について学びましょう。
釈尊が万人の生命に内在する根源の法を悟り、その法を人々に説き始めた時から仏教が始まったといえます。
釈尊は、現在のネパール王国のインド国境付近で、釈迦族の王子として誕生したとされます。父は浄飯王、母は王妃の摩耶です。
実在した人物なのです。
出家前の名前は、シッダールタです。
釈尊という呼び名は、「釈迦族、出身の尊者」を意味する「釈迦牟尼世尊」の略です。
釈尊が生まれた当時のインド社会では、種々の神々を祭る伝統的な宗教が重んじられていました。いわゆる、バラモン教です。
厳格な身分制度を立て、人々から崇められていたのが、聖職者階級のバラモンです。
そして、バラモン教で重んじられていたのが「儀式」です。
元来は、儀式の執行役であったバラモンが、宗教的な権威となっていました。
ところが、このバラモン自体が腐敗、堕落し、新しい思想・哲学が次々と生まれてきます。時代の変革期でした。
その激動の中で、釈尊が登場するのです。
若き釈尊は、大いなる疑問を抱いていました。それは、生老病死という人間にとって根源的な苦悩を、いかにすれば解決できるか、との問いでした。
釈尊は出家(一説には19歳)して、種々の思想家たちに教えを学び、さまざまな「苦行」に励みます。
当時、肉体を不浄のものとする考え方があったからです。精神の自由を得るために、釈尊は苦行によって徹底して自らの肉体を痛めつけたのです。
しかし、得るものはありませんでした。
それでは釈尊は、どうやって先ほどの大いなる疑問を解決したのでしょうか。
釈尊は、ガヤ(伽耶)という町の郊外の木の下で、一人、瞑想を続けます。
瞑想といっても生やさしいものではありません。正しい悟りを得るまでは、やめない覚悟でした。
当然、飢えや眠気、死への恐怖が釈尊を襲いました。
悟りを阻もうとする「魔」のはたらきです。
しかし釈尊は、その魔の正体を見破り、魔の本質は、生命に潜む「迷いの心」であることを覚知したのです。
「悪魔よ、怯者(=臆病な者)はお前に敗れるかもしれぬが、勇者は勝つ。私は戦う。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい!」
魔を克服した釈尊は、いわば「永遠の生命の法」を自身の内に見たのです。一説に三十歳の時です。
この法とは、宇宙と生命を貫く根源の法です。仏教は、この宇宙根源の法が自身の生命の中に内在していると説く点に大きな特徴があります。
日蓮大聖人は、その「生命の法」こそ南無妙法蓮華経であると示されたわけです。
大聖人は、釈尊滅後の末法という大混乱の時に出現され、人々を生老病死の苦悩から根本的に救う根源の法を説き示し、私たちが実践する道を確立してくださったのです。
今の私たちは、大聖人が示された実践によって胸中のこの法に則り、自身の内面から、すなわち生命そのものを変革していくことができるのです。
【釈尊の生涯】
「内なる法」に万人を目覚めさせ続ける
その1


