(御書をゆっくり、わかりやすく)十九.そのままの自分でいい❣️個性こそが大事。【御義口伝】御書

御書

​​【御義口伝】

【桜梅桃李】
「ありのままの自分」で輝け

御書
桜梅桃李の己己ここの当体を改めずして無作三身むささんじんと開見すればれ即ち量の義なり

通解
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの姿を改めずに、無作三身(そのままの姿で、三身<法身・報身・応身>の特質を顕していく仏の生命)を開いていくことが、無量義の「量」の意義である。

無量義経についての「御義口伝」の一節。

花々は、それぞれの個性に従って咲き誇る。

同じように、一切衆生が例外なく、日蓮大聖人の仏法によって、自分本来の特性を発揮して生きることができる原理を「桜梅桃李」という。

人にはだれしも「長所」もあれば、「短所(欠点)」もある。

だが、自分の性格を変えることは難しい。

人に指摘をされて、自信をなくしてしまったり、自己嫌悪に陥ることもある。

しかし大聖人は、おのおのの姿を改めずに仏の生命を開いていくのだと説かれた。

個性を無理に変える必要はないのです。

私たちは「ありのまま」でいい。

凡夫そのままの「無作」でいくのです。

久遠の凡夫のまま「つくろわず・もとの儘」で、自体顕照していけばいいのです。

通解自体顕照じたいけんしょう(=ありのままの姿を顕し照らしていくこと)

もちろんこれは、自分を磨く努力をしなくてもいいという意味ではなく。

「無作の三身とは末法の法華経の行者なり」、「此の無作の三身をば一字をもつて得たり所謂いわゆる信の一字なり」等と仰せのように、御本尊を強盛に信じ、悪世の末法で法華経を行じ抜いてこそ、ありのままの自分の生命に仏の力が漲る。

信心を根本にした自行化他の実践があってこそ、自己の豊かな個性も充分に花開くのです。

本当の仏法者は、飾りません。ありのままの姿でいくのです。

信心の世界に、学歴とかそんなことは何の関係もないのです。

そんなものにこだわる慢心があれば、かえって信心の邪魔になる。

本当の信心は捨て身です。

自分をかばうのではなく、不惜身命で「難」に向かって進んでいくのが、本当の日蓮仏法です。

広宣流布という大目的に生き抜いた時にこそ、自身の最高の力と個性が無限に輝き始める。

その時に、一人一人の個性を、最も特性を発揮した形で光らせることができるのです。

【桜梅桃李】
「ありのままの自分」で輝け

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