【善の連帯】
悪を封じ込める
「人間主義」の拡大
大義なき悪の勢力は、決まって汚い手口を使って、人を陥れようとするものです。
日蓮大聖人が受けられた迫害についても、そうでした。
大聖人は、あくまで正々堂々、一貫して公(おおやけ)の場での討論によって、教えの正邪を明らかにしようとされました。
しかし、大聖人を憎む権力者や僧たちは対話を拒否し、「暴力」「謀略」「虚偽」で大聖人に報いたのです。
大聖人は数々の襲撃を受けています。
まず、松葉ヶ谷の法難では、念仏者から襲撃を受けました。
伊豆流罪は、念仏者が権力者に讒訴(ざんそ)<=デマによる訴え>したことが、その原因です。
小松原の法難は、かねてから大聖人に恨みを抱いていた地頭・東条景信に率いられた念仏者による襲撃です。
そして、竜の口の法難のきっかけは、大聖人に恨みを募らせていた極楽寺良観の幕府関係者への讒訴でした。
大聖人に対する迫害の背景には、悪の勢力の結託が有りました。
「悪の野合」です。
御自身が受けられた迫害について、大聖人が「数えきれないほどの僧たちが集まって、国主に讒言して」と示されているとおりです。
迫害の背景には、悪意に満ちたデマ・中傷、虚偽(きょぎ)の醜聞(しゆうぶん)の吹聴(ふいちょう)がありました。
悪人たちによって、大聖人やその門下たちの事実無根の「悪のイメージ」が流され、それを権力者や民衆が無批判に受け入れてしまったのです。
それが迫害を促す土壌になったのです。
例えば、竜の口の法難の時、大聖人の門下について、鎌倉で放火をはたらいているなどのデマが流されました。
結局、人々は、こうしたデマに「そのようなこともあるのだろう」と踊らされてしまったのです。
そして、大聖人の佐渡流罪が最終的に決まってしまいました。
悪人が結託し、謀略・讒言で正義の人を陥れるという構図は、いつの時代も変わりません。
釈尊の時代でいえば、反逆した提婆達多が、マカダ国の王座を狙っていた阿闍世王と結託し、釈尊を亡き者にしようと狂奔(きようほん)<=狂ったように走り回ること>しました。
大聖人の時代でいえば、極楽寺良観を中心とする諸宗の高僧たちと、権力者たちとが癒着・結託しました。
このように悪は野合します。戦前、日本が軍国主義の道を突き進み始めたなか牧口先生は、「善人は孤立しがちであり、悪人は結託する」と喝破されました。
その悪を打ち破るためには、善人の団結が大切になります。
大聖人が仰せのように「悪は多けれども一善にかつ事なし」です。
悪の勢力は野心や利害で結びついているだけですから、根本的には長続きしません。
善人が団結して悪の野合を砕くことができます。
善の連帯の組織が核となって、「戦う人間主義」の連帯を広げることが、民衆の幸福を阻み閉ざす根本の悪を打ち破る道となるのです。
結託し、どんどん強くなる悪の力。
孤立し、ますます弱くなる善の力。
それでは、社会はすさみ、暗くなる。
険悪となっていく。
現代の日本そして世界も、牧口先生の言葉のとおりなってしまったといえます。
こうした悪の結託を打ち破るためには、明確な形として、「戦う善の力」を連帯させなければならない。
ゆえに牧口先生は、民衆の善なる力の結集をめざして、大聖人の教学を残されたのです。
理論や理屈だけではだめだ。現実のうえで、民衆が、正義に連なっていくために、何ものにも壊されない「善の連帯の組織」「正義の組織」を次世代の民衆に託されたのです。
牧口先生は、神札を拒否した事で、牢屋に入れられて、そこで命つきるまで、大聖人の仏法を貫きました。
愛弟子である戸田先生は、かろうじて出獄され、戦後の荒野に一人立たれた。
そこから大聖人の仏法を広めてこられました。
今全世界で読まれている日蓮大聖人の教学は、このお二人の命なくして語られることはないでしょう。
これまで、57話にわたる【教学】のお話は、ここで終わります。
1話〜57話では、教学の基本を優しく細やかに、学んでまいりました。
先生方お二人が大切に残してくださった、素晴らしい教学を次世代に残して頂きたいものですね。
次回の教学編は、【教学と法華経】と題して、深く楽しく、学んでいきたいと思っております。
皆様の幸福を願い、教学を皆様に勧めていきたいと思っております。
これからも、お付き合いさせてくださいね。
【善の連帯】
悪を封じ込める
「人間主義」の拡大


