法華経【第五章】薬草喩品その1
法華経と共に
薬草喩品その1では、これから薬草喩品で行われる説法についての準備段階です。釈尊がどのように衆生を成仏させて行くか。薬草喩品は五つに分けて探究して行きますので、ゆっくり優しく学んで参りましょう。
とは言え。信・行・学の三つを同時に行う訳ですから。一つの話をご覧になるだけで貴方の生命力も福運も増して行きます。
【三草二木】の譬えを軸として、薬草喩品の重要なお話が始まります。
教学の目線から考えて、私達は、自らの生命をコントロールしなくてはなりません。
何故なら私達の中には、新しい現実を生みゆく、仏種(仏の種)があって、その種は、私達の生命が、真に私達のものにならないと生長しないからです。その種から生まれるのは、喜びです。それは愛であり、正義であり、自由であり、平和であり、豊かさです。
法華経は、全ての人々に、仏性という無上の種を開かせる事を説いています。
そういう「分け隔てない仏の慈悲」を譬えによって描いたのが薬草喩品です。弟子の譬え話から師匠の譬え話と変わるのです。
先ず、薬草喩品の成り立ちについて見ておきたいと思います。
先の信解品(第四章)では、迦葉等の四大声聞。迦葉・須菩提・迦旃延・目犍連が、釈尊の説法、譬喩品.第三章の【三車火宅】の譬えを理解した事を、【長者窮子の譬え】をもって示しました。
薬草喩品では、それを聞いた釈尊が、「素晴らしい。素晴らしい。迦葉よ。巧みに如来の真実の功徳を説いた」と讃える所から始まります。
また四大声聞の理解が正しい事も承認します。
そして、その上で釈尊は、四大声聞にこう告げたのです。
「如来の功徳は、あなた達が如何に長い時間に渡り説いても、説き尽くす事は出来ない」、と。
そして【三草二木の譬え】を説き始めます。
言うなれば、薬草喩品は、弟子の領解した内容を仏が承認するとともに、更に補って述べるという形をとっています。領解とは仏の教えを聞いて悟る事。「これを述成とも言います」
そして、これを受けて、次の授記品【第六章】では、四大声聞の一人一人に、未来に必ず成仏するとの「授記」が与えられる訳です。
一人一人が、いつ(刧)、どこで(国)、何という名(名号)の如来に成るかが具体的に示されています。
この「師弟の交流」「師弟の一体」に成仏のカギが有ります。
何の為に「述成」があるのかと言えば、法華経の説法を信解した声聞達が、「成仏に至る菩薩道に間違い無く入った」事を、はっきりさせる為です。
この薬草喩品の末尾には、釈尊が「汝等が行ずる所は 是れ菩薩の道なり 漸漸(次第に。だんだんに。)に修学して 悉く当に成仏すべし」と有ります。
これが、次の授記品【第六章】で与える「前提」になっているのです。
それでは、今回の薬草喩品の【三草二木の譬え】のあらましを述べてみたいと思います。
三千大千世界(全宇宙)にある山や川、渓谷(山にはさまれた川のある場所を指します)や大地に、多くの樹木や薬草が生えているとします。
それらは、様々な種類が有り、それぞれ名前や形も異なっています。譬えでは、このように多種多様の草木を、一応、上・中・下(大・中・小)の薬草と、大・小の樹木に立て分けています。それで「三草二木」と言います。
その様な所へ、厚い雲が空いっぱいに広がり、あまねく世界を覆い、雨となって降り注ぎます。そして、多くの樹木や薬草をあまねく潤します。雨は平等に降り注ぎますが、草木は、それぞれの性質に従って生長し、異なった花を咲かせ、異なった実が成ります。
同じ大地に生育し、同じ雨に潤されても、多くの草木にはそれぞれ差別があると説かれいます。
厚い雲は「仏」を譬え、雲が起こって空を覆うのは「仏の出現」を譬えています。また、平等の雨とは「仏の説法」であり、「法雨」(仏の慈悲が遍く衆生に届く事)とも呼ばれます。
種々の草木は「衆生」で草木が雨を受けるのは「門法」(法を聞く事)です。そして、草木が生長し、花を咲かせ、実を成らせて行くのは「修行」や「功徳」を譬えていると言えます。
また、三草のうち「小の薬草」は人界・天界を譬え、「中の薬草」は声聞・縁覚を譬えています。「上の薬草」と、二木にあたる「小樹」と「大樹」は、いずれも成仏を目指す菩薩を譬えている、と説かれています。
「上の薬草」「小樹」「大樹」はともに菩薩を譬えている訳ですが、それをどう立て分けるかについては、古くから様々な解釈がなされています。
例えば、「上の薬草」は蔵教の菩薩(小乗教を学ぶ者)「小樹」は通教の菩薩(声聞、縁覚、菩薩の三乗に共通して学ぶ者)「大樹」は別教の菩薩(三乗とは異なる究極真実の教えを学ぶ者)であると解釈しています。
雲から雨が「等しく」降り注ぐという事は、如来の説法が「一相一味」である事を意味しているとされます。「一相一味」とは、究極的には、いかなる衆生をも等しく成仏させるという功徳があるという事です。つまり「一仏乗」の事です。一仏乗=三乗(声聞・縁覚・菩薩)という異なる修行スタイルがあっても、すべては最後に一つの真実へ導かれると言う事です。
しかし、それは仏の側から見た本質であって、衆生の側からは、この功徳は分からない。
草木の性質や大小によって、受けとめる雨の量や効用が違う様に、仏はただ一仏乗を説いているのに、衆生の受けとめ方が違うのです。衆生が受けとめる教えが、いわゆる「三乗」(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)です。
結局、「三草二木の譬え」も、前の二つの譬え(三車火宅と長者窮子)と同様、やはり「開三顕一、三乗を開いて一仏乗を顕す」を表現しているわけです。一仏乗とは、三乗へだたりなく、成仏出来るという事、それは開三顕一です。三つの教えを開き申して、一つの教えをあきらかに顕。
つまり、一つには、仏がなぜ三乗などの教えを説いて来たかを明かしています。それは、仏の教えを受けとめる衆生の能力・資質に種々の違いがあった為に、それに合わせて種々の教えが説かれたという事を示している訳です。
もう一つには、仏の教えは様々であるが、本質は一仏乗であり、雨の様に一味平等であるという事を明かしています。
今回の薬草喩品その1では、これから薬草喩品で行われる説法についての準備段階です。薬草喩品は五つに分けて探究して行きますので、ゆっくり優しく学んで参りましょう。
ご視聴ありがとうございます。
続きは、次回のお楽しみに。
法華経【第五章】薬草喩品その1


