師匠の愛情が全てを包む
法華経【第四章】信解品その2
法華経と共に
さっそく前回の続きから始めましょう。
発奮した二乗達は、感動のままに、自ら理解した法門を譬喩に託して語り始めます。
【長者窮子の譬え】今回は、「物語と教学を交えながら、理解を深めて行きましょう。(窮子とは困り果てる事)」
物語では【まだ幼い頃、父を捨てて出て行った息子がいた。その息子は二十年、三十年、五十年と長きに渡って、他国を放浪して、既に年を取り、困窮していた。】
教学では
「長者窮子の譬え」父(長者)は釈尊を譬えたものです。息子(窮子)は、二乗の弟子達の事です。
ここで言う「五十年」とは、三十歳の成道から八十歳の入滅直前に法華経が説かれるまでの五十年間を示唆しています。示唆=それとなく知らせること。ほのめかすこと。
{古来この譬え自体が、釈尊の一代の教化をまとめて語った物として、とらえられて来ました。}
物語では【父親は、子供が出て行った後、子供を探しまわったが、遂に見つける事が出来無かった。
父はやがて、ある都市に住み着き、非常に裕福になって行った。
財宝が蔵に溢れ、使用人は無数で有り、家畜も数えきれない。
ところが、父は悩んでいた。
「私はもはや年老いた。間も無く死ぬだろう。しかし、私にはこれ程の財産が有るのに、譲るべき子供が見つからない。我が子を見つけて譲りたい」と。】
教学では、これは、釈尊が悟りを得て、その悟った法の全てを譲る人を探していたという事です。
物語では【ある日、息子が父の邸宅の前にやって来た。ところが、息子は、邸宅の壮麗さと、かいま見た父の立派な姿に仰天した。息子は、ここは凄い人の家だ。こんな所にいると、捕まってしまう。早く逃げなければ、と。
その時、我が子の姿が、父の目に入った。五十年も離れ離れで居たが、父には可愛い我が子だと分かった。
喜んで家来に命じて迎えに行かせたが、息子は「捕らえに来た」と思って、肝をつぶして逃げ出した。
そして、遂に捕まって、意識を失ってしまった。
父は、我が子の志が低くなっているので、親子の名乗りをしても無理だと分かった。
そこでやむ無く、いったん、解放した。】
教学では、釈尊が悟った後、まず悟った法の全てをそのまま説こうとしたが、人々には受け入れる機根が整っていなかった、という事を示しています。
物語では【その後、父は思索をめぐらした。
まず、貧相な身なりの二人の使いをやり、「給料も二倍だよ」と誘って我が子を雇い、便所掃除の仕事をさせた。
子供は一生懸命に働いた。
次に、父自身が貧相な身なりをして、子供に近づいて、話しかけた。そして、親しくなった。
そこで父は我が子に言った。
「お前は真面目だから、何でも言ってごらん。私の事を父と思っていいんだよ。私はお前を息子と呼ぶから」と言った。
やがて父子の心は互いに理解し信頼しあって、息子は自由に父の屋敷に出入りする様になったが、相変わらず屋敷の外の小屋で生活していた。】
教学では、釈尊は、衆生の低劣な機根に合わせて、低い教えを説き、次第に高い教えに導いていったという事です。
屋敷の外に居たというのは、まだ成仏を人ごとだと思う心根だったという意味です。
ここで注目すべきなのは、長者が息子に「本当の親子と思っていいんだよ」と言っている事です。
前回の譬喩品でも、仏と衆生が父子の関係で語られていた。
仏は衆生がどの様な境涯であっても、常に我が子として救おうとしているのです。
この深い絆が仏法の眼目です。
「親の心子知らず」と言うが、子供がどの様に反発しようとも、我が子は可愛い。子供の幸せを祈らない親は無い。
仏は一切衆生の幸せを祈る。
一切衆生の幸福を開く為に闘う。
一切衆生の親なのです。
その仏の心を「信じれば」、自分自身の「智慧」が開けて来るのです。
それが法華経における「信解」です。
声聞達は、仏という父が、自分たち放浪の子を救う為に、長年の間、粒々辛苦してくれた大慈悲を知った。
感激して、仏の心を信じ、領解した。
その感動が「信解」の二字に込められている。
また「信解品」とは、釈尊は皆に何を伝えたかったのでしょうか。
さてこの後、父と子はどうなるのでしょうか。
続きは次回のお楽しみに。
師匠の愛情が全てを包む
法華経【第四章】信解品その2


